コラム



「マット・リドリーと新井満」


僕は作曲とギターを中心とした弦楽器の演奏しているが、インスピレーション受けるものは、文学や神話、また科学の新しい発見などだ。 最近は、生命の科学についての本を多く読んでいる。きっかけは僕に子供が生まれ、その後マット・リドリーの『ゲノム』や『柔らかな遺伝子』を読んだ事だった。一般的にはゲノムというととクローン動物や遺伝子組み替え野菜などが話題の中心となってしまう。最も刺激的な事実を忘れそうになる。それは歴史的に初めて、生物、そして人間が、どのように出来ているかが分かるようになったという事なのだ。 このことはどう自分自身と関係があるのか?1人の人間は独立した個人という存在ではなく、複数のデジタル的にコピーされた染色体の組み合わせから出来ている。DNAの中には1人の人間が誕生するまでの、先祖から続く遺伝子の旅の記憶が全て含まれている。数百年前に先祖がペストなどの細菌を征服した身体を持っていたとする。すると、その子孫にもその力は伝わる可能性が高くなる。アルコールあるいはミルクを消化出来ない身体を持った人々が世の中にいる。それは、先祖にその消化機能を発達させる必要にせまられなかった人々がいた事から来ている。人間はお互いに似た構造や機能を持っていながら、異なるDNAを持つ。一人の人間にとっての薬は隣人にとっては毒かもしれない。民族や人種と関係なく、血液型等のちょっとした事がより大きな違いを作り出す。性格的な違いを見るにも勿論そうだが、病気、特にガンの治療には重要な知識だ。リドリーによると、ある実験では2人のスイス人の遺伝子の平均的な違いは、1人のスイス人と1人のペルー人の遺伝子の平均的な違いよりも大きかったそうだ。民族や人種よりも一人一人の違いの方が大きく、民族や人種主義は科学的に意味がない事が証明出来る。こうした事がもっと一般的に伝われば、社会や政治も変わらずにはいられないだろう。
最近では全ての人間の先祖は1人のアフリカ人にたどりつくことが分かってきた。5万—7万年位前に人間はアフリカ大陸の外に出て、1万2千年前に最も遠い南米にたどり着いたと言われている。文明の始まりは1万年位前に現在のトルコ、中東とバルカン半島の周辺からはじまり、5千年前には都市文化が始まった。1人の人間が今だと70−80年平均的に生きる事を考えると、ほんのちょっと前の出来事だ。60年代から70年代に世界中に広がっていた学生運動や社会運動が世界を変えなかったのは、人間がまだ何かが分からなかった事とつながっていると思う。人間にはその先祖から引き継いでいる仕組みがあって、それは人間の心理や行動にも影響する。これを意識の上で分かっている方が、いろいろな事に気付くことができる。古代では神話が今の科学にあたる物だった。そして、宗教はそれを儀式化していた。(英語での宗教—Religionの語源は'一つにまとめる'と言う意味。人々を一つの儀式にまとめていた。)今では宗教は古代に持っていた意味とは別の物になってしまっている。しかし、古代神話や哲学の生命に対する説明は、今の生命科学が発見した事に非常に近い。 10数年前、僕は神話研究家ジョーセフ・キャンベルの『神話の力』を始めとする著作を読んでいた。その中に書かれていた、世界中の人類には共通した、伝統的に伝わる話や楽器が多くあり、古代において人々は繋がっていたのだとう話に強く興味を持った。人間はみんな同じような事を考えるから、同じ物が出来るのか?あるいは文明は世界中共通にアフリカ、中東とバルカン半島のクロスロードあたりから西へ、東へ、北へ、南へと広がっていった物なのか?古代の哲学者たちの知恵から、さらに多く学べる事があるのではないか?古代から伝わっている言葉にはそれぞれに、何千年の伝統を経験しているのだ。
何故このような事に僕はこだわりがあるのか?
人は経験した事やその人に起きた事件から疑問が浮かび、その答えを探そうと努力する。
僕自身は15歳までニューヨークやドイツの学校で色々な国の人々と過ごし、家庭でも何回も離婚があり、色々な国の人が家族となった。リドリーの『柔らかな遺伝子』でも書かれている事だが、15歳までに覚えた文化や言語がその人の文化と言葉になり、その年齢を超えるとその人の文化の一部にはなりにくくなるという。僕自身はどこの文化を自分の文化としているのかが分からなくなっていた。僕が一つの町でずっと育っていたら疑問さえ浮かばなかった事かもしれない。自分の存在に対する質問への答えを文学や音楽のインスピレーションから来る感覚的な力と科学的な考え方を融合したところに、僕は求めている。

マット・リドリーの書いた『ゲノム』一章目は『初めは一つの言葉があった』という文から始まっている。これは聖書の最初の言葉からとっている。地球が出来てからすぐ後には酢酸やクエン酸のような分子が11個あった。そこからRNAが出来たとされている。このRNAの記号こそが初めの言葉であった。この最初のRNAの記号は私たち全ての人間の中にも、全ての地球の生き物—ハエにも植物にもバクテリアにも入っている。新しい生命が誕生する時、世界の始まりからその生命が出来るまでの旅を体験して、世の中に生れ落ちる。 忘れているかもしれないが、私たち一人一人は地球上の生命の誕生を体験している。最初の種が作られ、植物的な存在から動物になり、爬虫類から哺乳類になる。ペルシャ神話では、世界の始まりをこのように説明する:

そこにあるのは
色でも形でもない。
では何もないのか?
いいえ、何かがある。
何色でもないのか?
いいえ、色が現れる前の
混沌とした彩りがある。
霧が霊のように
宇宙を漂っている。
そして3千年が過ぎると
物の形が見えてきた。
宇宙は光と闇に分かれてきた。
天地創造の時代が始まった。

ヒンズー神話の生物の始まりは、現在のバクテリア出現の説明と似ている。初めは宇宙には1人であった。どこを見ても自分1人しかいなかった。最初の言葉は"私だ!"と叫んだ。そして1人だけだったから恐くなった。しかし、やっぱり1人だけだったから安心して、恐くなくなった。それから仲間が欲しくなって、真っ2つに分かれて、仲間を作った。そしてその2つもまた2つに分かれて行った。(バクテリアが新しく生まれる時はデジタル・コピーのように一つのが全く同じ2つの物に分かれる。)片方に変化が現れると新しい生物が作られた。そして、その内、地球上に色々な種類の生物が生まれた。

僕は最近はこうした物語を集めて、科学の本からの文章と共にノートに並べて新しい作品を書いている。

新井満さんの般若心経の自由訳はこうしている内に初めて見つけた。新井満さんの最近の作品は『生命と死』をテーマとしている物が多い。そして、彼には古代から伝わる言葉を今の日本の人々に分かりやすく説明して広める才能がある。般若心経の説明の仕方にも独特な解釈をしている。私たちの中には無数の命が存在している。それは私たちの父と母、そしてそのまた父と母から受け継いでいる。20代前までさかのぼると百万人を超える。これら無数の命から私たちが出来ている。 これの説明はヒトゲノムの説明と似ている。複数の生き物が『私』という人間を作っている。それらは『私』の祖先から複製されてきた生き物だ。父の祖先から半分、そして母の祖先から半分選ばれ、『私』を作っている。その生き物たちは常に『私』の中で複製され、生まれ変わり続けている。
このイメージは神話を語る詩のように僕には感じられるが、これが生命の存在の仕方その物。生きている物は常に複製する事を望んでいる。細胞はその複製するコントロールを失うとガン細胞に変化してしまう。 新井満さんの説明は続く。宇宙はあなたそのものなのだ。そして誰もが1人ではなく、虫や花や魚や鳥と共にこの世を作っている。どの命とも深い絆でむすばれて、全ての命にはその役割がある。キレイとか汚いと言った相対的な物もない。生と死も常に流動的だ。生きているものはなくなるが、新たな生命が生まれる。
私たち人間の中にはハエやネズミと共通の遺伝子を持っている。その為、新しい薬が発見されると彼らにまずテストすることが多い。私たち人間は地球上の生命と繋がっている。
柳澤桂子という生命科学者も2004年に般若心経の新訳を『生きて死ぬ智恵』というタイトルで発表している。この本は生命科学者の考え方を含めて分かりやすく古代の智恵を説明している。柳澤さんは現代科学に照らしても、お釈迦さまがいかに真実を見通していたか、という事実は驚くべきことだと書いている。私たちは日常生活では常に自己と他者といった二次元的な考え方をすることになれてしまっている。自分と対象物という見方から欲の原因が生まれる。しかし、原子のレベルから世の中を見ると私もあなたもありません。原子が飛び回っている空間の中で私もあなたがいるところは少し原子の密度が高い。あなたもわたしも粒子でできていて、他の粒子と一続きにつながっている。宇宙は一続きだから、生じたという事もなく、なくなるという事もない。物も原子の濃淡でしかありません。この一元的な世界が真理で、私たちは錯覚を起こしていると柳澤さんは書いている。
『千の風になって』は新井満さんが翻訳して作曲した2003年に発表した歌だ。この言葉はメアリー・フライというアメリカ人の女性が書いた詩に基づいている。メアリーは折々に動物のチャリティー団体のために詩を書き続けていた主婦だったが、自作の詩を出版する事も、著作権を取る事もしなかったため、最近まで誰が書いた作品か分からないまま、戦争記念日、慰霊祭ではこの詩が常に登場していた。言葉の語り方はケルトの古代詩、CAD GODDEU(木々の戦い)と似ている為、ケルトの伝統的な歌とも思われていた。
木々の戦いというのは詩人同士の戦いで、この詩はイギリスの詩人ロバート・グレーヴスの『ホワイト・ゴッデス』という本で紹介され、60年代後半にインクレディブル・ストリング・バンドはこれに曲をつけて『U』というアルバムで発表している。
21世紀はバイオテクノロジーを始め、ヒトゲノムが初めて読めるようになった事から、人間についてより深く理解できるようになって来た。これは20世紀におけるフロイトの分析や政治思想と同じような影響を与えるようになり、後には古代の神話と近い存在になって行くだろう。