コラム



「絵の中の姿 2007」


What We Look Like in the Picture
By Ayuo
タイトル: 絵の中の姿
Artist: Ayuo

01) Midnight(高橋鮎生/ Ayuo): - Late Night(Syd Barrett): 05:16
02) Ophelia (高橋鮎生/ Ayuo):06:25
03) The Kids (Lou Reed).05.00
04) A Picture of You and I / E no Naka no Sugata 1 When I was Eight
絵の中の姿 1 八つのころに (高橋鮎生/ Ayuo) : 04:27
05) A Picture of You and I / E no Naka no Sugata 2 Wedding Night
絵の中の姿 2 結婚の夜に(高橋鮎生/ Ayuo): 01:32
06) A Picture of You and I / E no Naka no Sugata 3 A Box Garden
絵の中の姿 3 箱庭(高橋鮎生/ Ayuo): 01:59
07) A Picture of You and I / E no Naka no Sugata 1 When You were Forty
絵の中の姿 4 四十のときに(高橋鮎生/ Ayuo): 02:34
08) Roses Blue 〜 Both Sides Now(Joni Mitchell):04:36
09) A Summer Night in the City
都会の夏の夜 (中原中也・高橋鮎生):
10) Circus: 04:21
サーカス(中原中也・高橋鮎生) :04:21
11) Face of Another Waltz (映画"他人の顔"より)ワルツ(岩淵達治・武満徹)〜Psyche interlude in 3/4(高橋鮎生/ Ayuo):08:32
12) Men of Good Fortune (Lou Reed):05:30
13) Pirate Jenny (The Black Freighter)
海賊ジェニー(Bertolt Brecht/ Kurt Weil): 07:44
14) Tokyo Festival
東京祭り (中原中也・高橋鮎生): 04:00

このアルバムにはルー・リード、ジョニ・ミッチェル、シド・バレットや武満 徹等の作品が入っている。よく知られた曲も多いが、一つ一つの曲を僕は昔のスナップ写真みたいに、個人的なものだと感じている。 For some liner notes in English, please check Ayuo's Homepage: http://park7.wakwak.com/~ayuo/

01a) Midnight
Words and Music:高橋鮎生 (Ayuo) -
Voice: Ayuo
Sounds from Nature :Ken Awazu

01b)Late Night
Words and Music: Syd Barrett
Vocals, Guitar, Arrangement: Ayuo
訳詞:高橋鮎生

今日起きたら、君はもうあそびに来ていなかった
また、一緒にあそびたいと思った
君は瞳を見せてくれて、空への愛をささやいてくれた
一緒にいたいと思った

時々、孤独で現実が見えなくなる
そして、君のくちづけは、僕にはいつも特別なもの

夜、静かに眠る時、星が高く輝くのを見ると
君と一緒にいたいと思った
屋根が闇で満ちる時、一人一瞬の輝きを見た
君と一緒にいる時の愛の輝き

君の名前をささやいて、チェーンの後ろに振り向いて
君と一緒にいたかった
大きくなって、小さい君を見た
君と同じに、そのままでいたかった

僕が初めてシド・バレットを知ったのは68年頃だった。
8歳のある日、ニューヨーク・フィルを指揮した小澤征爾のコンサートを観に行った。そこで、小澤さんとレコード契約を交わすためにイギリスのEMIレコードを代表して会場に来ていた、白髪のいかにもイギリス紳士といった人に出会った。僕はジェファーソン・エア-プレインやドアーズを聞いていて、ギターを始めたばかりだと話した。ちょうど当時EMIが売り出そうとしている新しいグループだったピンク・フロイドのレコードをその紳士は2枚くれた。ほとんどの曲はシド・バレットが作詞・作曲をしていた。彼の曲は心にじかに伝わってくるものがある。 シド・バレットは二十代前半色々なドラッグを経験した後、心が普通の人とは違う次元に行ったままになってしまった。そのためか彼の詩は大人になりきれない部分と、ジェイムズ・ジョイス並の言葉の遊びを操る知性が共存している。LSDを取るとダリの絵やシュールリアリズムの作品のように、日常では見えない細かい表情などが明解に、動く絵のように見えてくる。音も動く絵のように見えてくる。シド・バレットは今では鬱病などいくつかの精神障害を持っているといわれている。当時、イギリスの音楽シーンに最初LSDを紹介したのはテリー・ライリーという現代音楽系の音楽家だった。そこからイギリスのサイケデリック・シーンは始まった。ラ・モンテ・ヤング等の作曲家達は最初売人として生活をしていた。ニューヨークのサイケデリック・シーンには大きな影響を与えた。僕は小学生の頃、よくこうした作曲家たちを見ていた。

02) Ophelia
Words and Music: 高橋鮎生 (Ayuo)
Vocals: Jadranka
Bouzouki, Vocals: Ayuo

このオフィーリアというキャラクターはカート・ボネガットの小説「ジェールバード」の登場人物だ。彼女は戦争での人間の行動を見てから、人間が良いものだと信じなくなった、第二次大戦後のヨーロッパに何万人も生まれた、狂ったオフェーリアの1人として描かれている。強制収容所から出た彼女は、もはやだれも信用せず、彼女を助けようとする全ての人を避けて1人で放浪し続けていた。

私をさわらない
私も誰もさわらない
飛んでいる鳥のように
とても美しい
神と私だけで

ひどい食生活のために彼女は棒のよう痩せっぽちで、誰もが声変わりする前のジプシーの少年だと思っていた。彼女は倒れ、アメリカの兵士に運ばれた。三週間病院でビタミンやミネラルと最も大切な愛情を与えると、彼女は26歳のユーモラスなウィーンのインテリに戻っていった。 その兵士は彼女にすぐさま愛の言葉を語った。しかし彼女は「私たちは宇宙の片隅にできた病気のようなもの。人間が子供を作り続けていくこと自体が間違っていると思っている私に、よく愛なんか語れるわね。」と言う。彼は言った「でもこれからの新しい時代を見てごらんよ、世界はやっと今までの間違いに気付いたんだよ。一万年の狂気と欲望の時代がこの戦争裁判と共に終わるんだよ。本も書かれるだろうし、映画も作られる。歴史の中で最も重要な曲がり角かもしれない。」 「まるで8歳の男の子みたいね。」と彼女は言う。 「時代の夜明けにぴったりの年齢さ。」と彼は答えた。 この小説が書かれた70年代にも、このアメリカ兵の信じるデモクラシーの理想主義とはまた別の理想主義が流行っていた。新しいアクエリアスの時代が始るという考えから、20世紀最後の左翼的な政治思想が生まれた。でも人間は変わらなかった。第二次大戦を体験したヨーロッパの女性オフェーリアの考えは、社会思想や人間の新しい未来をだれかが語る時、僕がいつも思うことと重なっていた。この曲はそれを表現している。

03) The Kids
Words and Music: Lou Reed
Vocals, Guitar, Arrangement: Ayuo
Sound Collage: 沢田穣治 Joji Sawada

こどもたち  The Kids by Lou Reed
訳詞:高橋鮎生 (Ayuo)

こどもたちは連れて行かれた
彼女はいい母親にはなれない
こどもたちは連れて行かれた
彼女はシスターでもブラザーでも誰とも寝ていた
あの安っぽいオフィサーとも僕の前で浮気をしていた

こどもたちは連れて行かれた
彼女はいい母親にはなれない
こどもたちは連れて行かれた
彼女がやった事を聞いて
あの黒人の空軍のサージェントが最初ではなかった
そして、彼女がやっていたドラッグの数々…

そして、僕は水の少年
本当のゲームはここにはない
でも、僕の心はあふれている
僕はもう疲れ果てている
話す言葉もない
でも、彼女の娘が連れ去られた後には
あふれているのは彼女の涙の方だ
だが僕にとってはその方がいい

こどもたちは連れて行かれた
彼女はいい母親にはなれない
こどもたちは連れて行かれた
彼女がやった事を聞いて
最初はパリから来たガールフレンドと
僕にも言えない事をやっていた
そして、インドから家に泊まりに来た
あのウェールズ人と

こどもたちは連れて行かれた
彼女はいい母親にはなれない
こどもたちは連れて行かれた
彼女がやった事を聞いて
彼女が街角でしていた事や
バーやアレイでしていた事には誰にも彼女には勝てないと言われていた
あのくさった、アバズレは誰も断る事が出来なかった

そして、僕は水の少年
本当のゲームはここにはない
でも、僕の心はあふれている
僕はもう疲れ果てている
話す言葉もない
でも、彼女の娘が連れ去られた後には
あふれているのは彼女の涙の方だ
だが僕にとってはその方がいい

ニューヨークに住んでいた最後の時期、僕の家庭は破綻していた。義父は、事情があって故郷のイランに戻り、そこにはいなかった。残された僕のまわりは、この歌詞に近いものとなった。学校から帰ると、いつもキノコとLSDのドラッグ・パーティーになっていた。コントロールを失った人々があふれていた。1回のLSDの体験は人生を変える力があるとよく言われるが、それが毎日の事となると、その"別の体験"をした事さえも薄まってしまう。となりの部屋からはセックスの音がしていた。家は僕にとっていづらい場所になっていき、この頃ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのレコードをよく聴いていた。彼らの歌詞は僕にとって特別の意味を持ち始めた。ヴェルヴェットのニコがドラッグの空想で作り上げた、仮想家族ファントム・ファミリーはこんな状況だったのかもしれない。学校の先生たちは僕の様子が心配になって、僕を精神科に連れて行った。何かが起きている。でもそれが何かは分からなかった。 僕自身があのころの感じを客観的に書くのは難しい。だから歌詞が気持ちに重なる他の人の歌を、僕は歌う。 けっきょく、15才になる直前の夏に、それまでの生活は全てなくなった。夏休みに日本に住む父を訪ねている間に、母はイギリスのダンスカンパニーについて行ってしまい、それきりニューヨークには戻らなかった。僕の今まで持っていた持ち物——レコード・コレクション、音楽テープ、作った曲、自分で撮っていた色々なバンドのライブ写真、小学生の時に持っていた恐竜の卵や石——は消えてしまった。 僕の取り残された日本では、父もアメリカ人の当時の妻と2回目の離婚をするところだった。そして、夫婦の最後のケンカが終わると共に、父の生活は音楽を中心としたものから左翼的な政治集会で活動する生活に変わっていった。僕にはそう見えた。 17才の時にはすでに1人で暮らしていた。 18才の時には灰野敬二や大熊ワタルが演奏していた吉祥寺マイナーなどで僕も演奏を始めていた。それから何十年も経つ。しかし、やっている事もやろうとしている事も殆ど変わらない。それは"音楽"という事だけではない。僕はただ、太古から人間が経験してきた神話、宗教、哲学や考え方を少しずつ自分の中に取り入れ、そこでどんな発見が出来るかということをずっと見つめている。一つの思想は信じられない。21世紀がどんどん進んでいく内にますます人間の構造が科学的にも心理的にも理解出来るようになり、20世紀になぜ人がフロイトやマルクス主義を信じていたかは、不思議となるだろう。むしろ、古代宗教に近いものが科学として再発見されるだろう。

04) 絵の中の姿 1 八つのころに
Words and Music:高橋鮎生 (Ayuo)
Piano: 高橋悠治 Yuji Takahashi
Vocals, Electric Guitar: Ayuo

君とはじめて会ったときは
八つの頃だった
君と僕は同い年
近所の家の庭で
君の書いた歌を見せた
幸せになるには
繊細すぎる心を持ってた
と思ったが

その後にも
自分で編んだ服を着て
僕の前に現れて
いろんな歌を見せた
終わりかけないのも、たくさんあったが
それはだれにも習ってないから
君と話しながら共に学んで行こう
と言った

十四の時に
君が秘密に
お菓子を持って来た事がばれて
みんなに笑われたため
その後には
僕の前から身を隠すようになった

05) 絵の中の姿 2 結婚の夜に
Words and Music:高橋鮎生 (Ayuo)
Piano: 高橋悠治 Yuji Takahashi
Vocals, Electric Guitar: Ayuo

結婚の夜に
君の鼓動はとても早く
何故と聞くと
永遠の愛のように
君の笑顔が輝いた

06) 絵の中の姿 3 箱庭
Music composed by 高橋鮎生 (Ayuo)
Piano: 高橋悠治 Yuji Takahashi

07) 絵の中の姿 4 四十のときに
Words and Music:高橋鮎生 (Ayuo)
Piano: 高橋悠治 Yuji Takahashi
Vocals, Electric Guitar: Ayuo

四十の時に
君が重い病にかかった
寝たきりの君を治療のために
山につれていった
君を肩にしょいながら
舟で川を渡り
山を越えた

元気になったと思うと
急に倒れて
旅の途中申し訳ないが
と君は言いつつ
生まれ変わるまで、と言いながら
この世から去っていった

この曲で描いているのは時が止まったような昔の村の生活だ。つまり僕自身の子供の頃とはまるで逆の世界。この曲は1986年に最初にイギリスの古都バースでレコーディングした後に作った。この町は18世紀のまま保存されていて、まわりは羊や牛を飼っている牧場が多い。そこは何百年前と同じかのように思える風景だった。この時に出会ったミュージシャンのピーター・ハミルはバースから20分ほど離れた山の中で、子供達を育てながら、自宅の1階を仕事場にして暮らしていた。"今のような近代的な世の中で自分の子供達が生まれた時からずっと同じ子供達と付き合いながら育っていくことは珍しいことだと思う"と彼は言っていた。 僕自身は物心のついた頃からいつも一つの国から次の国へと、親の仕事や結婚や離婚の繰り返しと共に連れられて行ったので、一つのルーツとなる文化をもっていない。まわりの社会、出会う人々、親さえも、その年によって変わっていく。僕にとってはここにあるような昔の生活が、一つのユトーピアに見えてしまう。この曲に出てくるエピソードは中国の清時代の絵描きで学者の自伝"浮生六記"に基づいているが、言葉そのものは自分で書いた。僕の曲エドガー・アラン・ポーの詩を使った"アナベル・リー" (1978)や世阿弥の能に曲をつけた"IZUTSU"(1996)も同じテーマの作品だ。

08) Roses Blue 〜 Both Sides Now
Words and Music: Joni Mitchell
Vocals, Guitar, Arrangement: Ayuo

涙の思い、雨が屋根裏に叩きつける音を思う
雨の思い、青いバラの事を思う
Roseの事を思うと、心はふるえ出す
彼女は近頃何にはまり込んでしまったのだろうか?
彼女は近頃何にはまり込んでしまったのだろうか?

彼女は怪しげな信仰に走ってしまっている
彼女は星占いや禅に夢中になっている
彼女はタロット・カードやまじないにこっている
彼女の信仰を友達に広めている

自分たちについて占ってもらおうとやってくる友達たち
やって来てはもう友達ではないと気がつく友達たち
というのは彼女と星座が合わないから
彼女は言う
"あんたはもうすぐ死ぬね"
でも、いつなのかは言わない

黒のカードが出たら、あなたは交換する事が出来ない
あなたの星を見ると絶対に勝つ事が出来ないね
もう無理だね
彼女は頭を振って、あなたを受難者扱いするだろう
彼女の不吉な呪縛の中にあなたを捕える

悲しみの中に泳ぐあなたは、もはや彼女のいいなり
自己憐憫に襲われ、溺れ死んでゆく時でさえも
彼女の声があなたに纏わりつく
笑う事さえ出来れば、あなたは勝てる
あなたは勝てるだろうか?

笑い声と共に勝利を手に入れる。 あなたが求めていた真実に対する疑問が救いの手になる
もはや、どう考えたらいいのか、あえて巫女には訊ねようとしない

人間の事が分からない人程、なにかにつけ占いに頼ろうとする傾向がある。人間に対して理想が高すぎロマンティックな心がありすぎる程、実際にはその理想に及ばないと次々と人間関係を壊してしまう。 僕のコンサートが近づいていたある時、連日のように「君の活動を破壊しそうになる人が占いで現れているから気をつけろ!」という電話がかかって来た。「大丈夫だから」と僕はこたえ続けた。しかし、こういった言葉はしらずしらず心の中に入ってしまい、自分の行動に影響をあたえる。そのコンサートでも、その通りに人間関係は崩れかかった。しかし後になって、その忠告を言った人は「もしかするとその危険人物は私だったのかもしれない」とこぼした。 ジョニ・ミッチェルからギターのオープン・チューニングと詩の使い方を学んだ。僕の最初のギターの先生の奥さんが彼女のファンだった。この曲の後半に出てくる "Both Sides Now" は、この頃僕のまわりでよくかかっていた。

09) 都会の夏の夜
Words: 中原中也Chuya Nakahara
Music composed by 高橋鮎生 (Ayuo)

Vocals:上野洋子 Yoko Ueno
Electric Piano (Wuritzer): 千野秀一 Shu-ichi Chino
Guitar: Ayuo

10) サーカス
Words: 中原中也Chuya Nakahara
Music composed by 高橋鮎生 (Ayuo)

Vocals:原マスミ Masumi Hara
Vocals:上野洋子 Yoko Ueno
Piano : 千野秀一 Shu-ichi Chino
Electric Guitar: Ayuo

11a) Face of Another Waltz
(映画"他人の顔"より)ワルツ
Music by武満徹

Words by 岩淵達治
英翻訳:高橋鮎生 (Ayuo)
Vocals, Guitar, Bass, Darubuka, Arrangement: Ayuo

11b)Psyche interlude in 3/4
Psyche Interlude in 3/4
Music composed by高橋鮎生 (Ayuo)
Guitar, Bass, Darubuka: Ayuo

他人の顔の映画を初めて観た時、僕は小学5年生だった。映画監督の勅使河原宏がニューーヨークに来て自身の映画祭をやった時に彼の隣りの席で観た。彼はその映画を撮った当時の自分を思いだすように「この場面をカットするべきだった」などと上映中ずっとひそひそと話していた。しかし、この映画は何度見ても僕にとっては名作だ。 この映画の原作は安部公房の同名の小説で人間のアイデンテティーの問題をテーマとしている。主人公は科学者で仕事中に顔に大ヤケドをおってしまう。新しい顔をお医者さんに作ってもらうと、その性格にも変化が現れてくる。別の見られ方をされていると別の性格の人物になってしまう。これは色々な環境で育った人にも、よくみうけられる現象だ。ニューヨークにいた僕自身にはある一つのアイデンテティーを持っていた。それはヴィレッジに住む日系人の少年、日本人の母とイラン系の義父と住んでいるというキャラクターだった。しかし、日本にくると別のキャラクターとして見られるようになる。この曲は過去の名作として取り上げているのではなく、僕自身の個人的な世界を現したものになっている。

この曲の僕の編曲について、まず60年代後半のサイケデリック・ロックを1人でやっていることに気がつくと思う。これは音楽で表現したスナップ写真になっている。68年頃僕はジェファーソン・エア-プレイン、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ザ・ドアーズ、後にグレートフル・デッドなどを聴いていた。 家庭に不安な出来事が起きていると、表面には現れなくても、子供の心の中で不安はひそかに広がり、影響を与える。よく引越しもするため、長く知った友達もなく、親は自分の問題で忙しく、1人でレコードを一日中聴いている事が多かった。 マーチン・ルーサー・キングが暗殺された次の朝、1人で起きてテレビを付けた。全てのテレビ・チャンネルで彼の演説をやっていた。小学校はアメリカ政府に反対する先生達によってストになり、閉鎖していた。学校が再び開いても普通の科学や算数を教えるよりも政府に対する抗議の仕方を教える事が中心となった。その当時学校に通っていた、多くの僕の世代の人たちは政治的な議論ばかりするようになり、人生を上手く生きられなかった人々も多い。70年代の破綻した状態はこの頃の自由が生んでしまった。子供としてそこにいたのは楽しかったけれど。 ちょうどその頃、母は父に離婚を申し出ていたが、父は仕事で殆どニューヨークにはいなかった。トロントで行なわれる武満 徹作曲のアステリズムというオーケストラとピアノ曲の初演の日、ピアノを弾く父を母と僕は観に行った。演奏の始る直前に母は離婚届にサインをもらいに父のところへ行った。僕は1人武満さんの家族の隣りでこの曲を聴いた。コンサートが終わった後にお客さんがいなくなった会場で武満さんの奥さんは僕が母のお腹の中にいた頃「絶対に女の子が生まれて欲しい!」と僕の親たちが言っていたと話した。「でも男の子もいいじゃない」と武満さんの奥さんが言っていたことが、僕は印象に残っている。後に女の子が生まれたらつけるはずの名前の鮎を取って、鮎生という名前に僕は変名をした。

その年の夏にウッドストック・フェスティヴァルが行なわれた頃、母はアメリカ国籍を持つイラン人と結婚した。彼はイランの宮廷音楽家の家族の出身だったのでよくイランの伝統音楽を歌っていた。ここのPsyche Interlude in 3/4ではイランの伝統的なリズムとサイケデリックな音が一つになっている。 その秋、父が再びアステリズムをシカゴのオーケストラと演奏する時、今度は僕は1人でシカゴへ観に行った。ザ・フーの作ったロック・オペラ "トミー" が発売されたばかりの頃で、いろいろな店の窓にそのアルバムが飾ってあった。そのレコードを父に買ってもらった。武満さんは1人で来ていた。曲が演奏された次の日は滝のような大雨だった。道路が川のようになっていた。まるで、全てを洗い流すような雨だった。ここで僕にとって一つの時代は終わった。 過去の時代の記憶というものも時間が経つとそれぞれの人にとって違う物になってしまう。僕の母が数年前に書いて出版した自伝は彼女のストーリーであって、僕が同じ時代について語ると違う話になってしまう。 この時代出会った人たちとの思い出にこの演奏を捧げたい。

12) Men of Good Fortune
Words and Music: Lou Reed
Vocals, Guitar, Arrangement: Ayuo

Men of good fortune by Lou Reed
訳詞:高橋鮎生 (Ayuo)

育ち良いのお坊ちゃんは
自らその帝国を崩壊させる事もある
ビンボウ育ちのやつには
何も出来ない事が多い

金持ちの息子は父親が死ぬのを待っている
ビンボウなやつには酒を飲んで、泣くしかない
そして、オレか?
おれはどうでもいいと思っている

育ち良いのお坊ちゃんには
何も出来ない人が多い
ビンボウ育ちのやつには
何でも出来る人がいる

男らしく見せようと常に思う
いつもより良い方法を見つけようと努力する
金持ちのパパにたよれる事なんかないからね

育ち良いのお坊ちゃんは
自らその帝国を崩壊させる事もある
ビンボウ育ちのやつには
何も出来ない事が多い

金を作るには金が必要だと人は言うけど
フォード家を見てみな。最初からそうだった訳じゃない
そして、オレか?
おれはどうでもいいと思っている

育ち良いのお坊ちゃんは
すぐ死にたいと言いやがる
ビンボウ育ちのやつは
彼の持っている物が欲しくて
それを得られるのだったら
命さえも捨てられる

世の中には素晴らしい物が沢山ある
金を持って生きていたい
そして、オレか?
おれはどうでもいいと思っている

育ちの良いお坊ちゃん
ビンボウ育ちのやつ
育ちの良いお坊ちゃん
ビンボウ育ちのやつ
育ちの良いお坊ちゃん
ビンボウ育ちのやつ
育ちの良いお坊ちゃん
ビンボウ育ちのやつ

13) 海賊ジェニー (The Black Freighter)
Words by Bertolt Brecht, Music by Kurt Weil
訳詞:高橋悠治

ごらんのとおりの皿洗い
客室のベッドつくり
チップをくれればありがたくいただき
ボロぶらさげて ホテルで寝る
でも わかっちゃいないでしょう
私が本当は誰だか
ある日 港では 大騒ぎ
みんなが 『ありゃ 何事だ』
私が笑うのを見つけて
『何がおかしいんだ』
8本マストに大砲が50門 船は港に

お前は 皿でも洗っていなさい
と、またチップを投げる
ありがとう ベッドもつくりましょう
でも 今夜は誰も眠れないわ
まだ わかっちゃいないでしょう
私が一体 誰だか
ある晩 港にとどろく音
みんなが 『ありゃ 何の音?』
私が窓からのぞくと
『笑うのは やめるよ』
8本マストに大砲が50門 町をねらう

そうよ もう笑い事じゃないよ
家がくずれおちる
三日目には町は荒れ果てて
ホテルだけが 無傷で残る
みんなは不思議がるさ
『ありゃ 一体 誰のお屋敷』
その晩 ホテルは大騒ぎ
みんながわけを知りたがる
私が外へ出て見ると
『あの子の家だったのか』
8本マストに大砲が50門 旗ひるがえる

昼になると全員上陸
ひたひたしのび足で
町中の人をしばりあげて
くさりにつないで私の前で
そして お伺いたてるよ
『さあ 一体 誰からバラしましょうか?』
その昼 港は静まって声が響く
『さあ 誰から?』
そこで私は言うの 『みんなよ!』
そして首が落ちる度に 言ってやるの
『万歳!』
8本マストの 船は消えるよ 私を乗せて

1975年の夏休み旅行のまま、戻る場所を失った僕はこの国に住み続けている。 父と、やはり母親を失った赤ん坊の弟と暮らすことになり、最初のうちは僕は英語でしか教育受けた事がなかったので、インターナショナル・スクールに通っていた。父は次第にピアノと現代音楽系の作曲をしているのがいやになって、左翼的な政治集会で大正琴を弾きだした。何故そういった道を選んだのか、僕には未だにその理由が分からない。ただ多くの1938年生まれのミュージシャンはヴェルヴェットのニコのように第2次大戦が子供の時に終わり、その時の政治的な変化が心のどこかで影のようにひそんでいるように僕には思えた。2年経つと僕はインターナショナル・スクールには行かないほうが良いと父に言われ、言われるままに高校を中退した。70年代の半ば、ちょうど子供の出産の後に音楽活動に戻った加藤登紀子さんは父と何度か仕事している。韓国の詩人、キム・ジハ、南米のヴィオレッタ・パラやこのブレヒトの曲を日本語にしてやっていた。僕はブレヒトとワイルが書いたこういった曲は、最初は1967年頃ザ・ドアーズのアラバマ・ソングの演奏で知った。それはデカデンスの雰囲気を持った曲として、67年にぴったりはまった。ブレヒトの詩の面白さは僕にとってヨーロッパの伝統的な引き語りの歌と近い物があるからだと思っている。

14) 東京祭り
Words: 中原中也Chuya Nakahara
Music composed by 高橋鮎生 (Ayuo)

Vocals:上野洋子 Yoko Ueno
Electric Piano (Wuritzer): 千野秀一 Shu-ichi Chino
Electric Guitar: Ayuo
City Sounds of Ginza recorded by Ayuo
Collaged and Mixed by Kamada

中原中也の詩を初めて知ったのは2005年、毎朝5歳の娘と観ていたテレビ番組"にほんごであそぼう〝でだった。それが終わってから彼女を保育園に連れて行く。番組は子供が楽しめるようなカラフルで楽しげなビジュアルだが、出てくる文学や詩の言葉は、たとえ古典でも、もとのままの形で語られる。そこで、今まで僕が知らなかった日本文学を沢山知った。ピーター・ハミルは子供が学んでいるというのは自分も学んでいるという事だと言っていた。 中原中也の詩はそれまでの日本的な表現に、西洋のシュールリアリズムやモダーンとされていた文化がぶつかった所が見えてとても面白かった。その言葉一つ一つに自分の感情的な動きをぶつけてメロディーとなった。この曲"東京祭り"の中原中也の詩は"今宵はたのしい東京祭り"と歌っているが、途中から音樂はとてもさみしく、せつない感じになってゆく。 これはよく、イギリス民謡で恐ろしい事件を語る歌に楽しそうなメロディーが付いているような使い方と似ている。音楽と言葉が別の方向に向かって行くと元にはなかった不思議な感じになってゆく。僕が詩に曲を付けると、作家のファンの中には元の詩のイメージと違う音楽になっていると感じる人がいるようだ。しかし、元々僕は人(作家)の気持ちに音を付ける気はまったくなく、自分があらわしたい世界を表現するために人の言葉を引用しているつもりなのだ。曲中の、銀座の夜の音は僕が歩きながらDATレコーダーで取った。

Recorded and Mixed and Mastered by鎌田岳彦Takehiko Kamada
Recorded at foxyroom, Studio 246, Chino Shu-ichi Studio and Ayuo's Room
高橋鮎生 Ayuo: Vocals, Guitar, Bouzouki
上野洋子Yoko Ueno: Vocals
原マスミMasumi Hara: Vocals
Jadranka: Vocals
千野秀一Shu-ichi Chino: Electric Piano, Piano
高橋悠治Yuji Takahashi: Piano
沢田穣治Joji Sawada: Sound Collage
Art Direction and Design: 軸原ヨウスケYosuke Jikuhara
Printed by横山ひろあき Hiroaki Yokoyama
Production Coordinator: Kazunori Goto後藤和則
Executive Producer:横田義彰Yoshiaki Yokota