楽器紹介


 
Musical instruments

僕が使っている多くの楽器は、“民族楽器”という風に現在言われることが多いが本当は、“民族楽器”という呼び方だと嘘になってしまう。今の世の中にとってそれが便利な呼び方にすぎないから、“民族楽器”と言われている。
たとえばハープは古代メソポタミアや古代エジプトの絵に描かれているものの延長で、18世紀のアイルランドの音楽までにもその技法は使われている。アイリッシュ・ハープと今オーケストラで使われているハープとの違いは、19世紀に作られたペダルが付いていないことだけだ。ヨーロッパ的な発想というのは元々中東にあった楽器に便利な機械的な道具を付け足したものが多い。ハープのペダルもそうだが、ペルシャでサントゥールと呼ばれている楽器にキーボードとオートマティックに打つハンマーを付け足したものがピアノだし、プサルテリーにキーボードとオートマティックに弦をはじく装置を付け足したものがチェンバロ(ハープシコード)だ。
19世紀の終わり頃に、ドイツの哲学者ニーチェは、弱い人々が神様に向けていた力を、代わりに民族に対して向けるだろうと書いていたらしいが、20世紀の民族主義に対する考え方は、19世紀帝国主義とそれに対する反抗からでてきているものだと思う。“民族音楽”という考え方も近代社会によって作られた。19世紀でまとまったヨーロッパを中心とする民族国家と帝国主義の世界では西洋音楽が正式な音楽となり、世界のさまざまな他の音楽はたとえ古代音楽であろうと、その“民族”が作ったものではなくても、“民族音楽”とされてしまった。西アジアとの交流から生まれたケルティック・ハープの歴史について読んだ時、これは“民族楽器”というよりは古代の文化交流から生まれた伝統楽器という風に僕は理解した。

オープン・チューニング・ギター
グリサンド・ギター
ブズーキ
シタール・ギター
ケルティック・ハープ
ハーディー・ガーディー
プサルテリー
コロナミューズ

 

オープン・チューニング・ギター Open Tuning Guitar

Ayuo

オープン・チューニング・ギターとはギターを標準の調弦、EADGBE、から別の調弦(チューニング)に変えて弾くギターの事をそう呼ぶ。有名なオープン・チューニングの調弦としてはオープンD(DADF#AD)やオープンG(DGDGBD)などがある。1920年代から録音されているアメリカのブルースのギタリストたちはこのようなチューニングを使っていた。エレクトリック・ブルースをシカゴで第二次大戦後に流行らせたマディー・ウオーターズやジョン・リー・フッカーはこれらのチューニングをエレクトリック・ギターで使った。ローリング・ストーンズのキース・リチャードはオープンGで作曲した曲が多い。 1960年代からはイギリスやアメリカのフォーク・シンガーたちもこれらのチューニングを使って、イギリス、アイルランド、スコットランドに伝統的に残っている曲を弾き始めだした。イギリスのフォーク・シンガー・ギタリスト、マーチン・カーシィーはDモーダルと呼ばれている、DADGADでたくさんの曲を演奏した。このようなチューニングはヨーロッパに古くから残っている曲にはぴったりだった。ヨーロッパの中世時代の音楽にはG,AmやEmなどのコードは使われなく、バグパイプやハーディー・ガーディーの音楽と同じようにモードの中心音が持続している上にメロディーが動く。マーチン・カーシィーは後にもっといろいろなチューニングを考えるようになった。CGCDGAというチューニングを作って、ギターを打楽器のようにリズミックに弾く独自の奏法を作った。イギリスのトラッドのバンド、スティーライ・スパンではマーチン・カーシィーがエレクトリック・ギターでモーダルな曲をオープン・チューニングで弾いている。 ジョニ・ミッチェルはさらに50種類のチューニングをギターで作ったと言われている。ジャコ・パストリウスと録音したジョニ・ミッチェルのソロCD、『Hejira』ではCACFAC(Refuge of the Roads)、CGDFCE(Coyote)、BbBbDbFAbBb(Black Crow)DACGAD(A Strange Boy)、CGCEGC(Amelia)、EbBbDbFAbBb(Song For Sharon)、DAEGCE(Furry Sings The Blues)、CGDFAD(Blue Motel Room)BF#C#EF#B(Hejira)が使われている。これらの響きはジュアン・ジルベルトが1950年代にA.C.ジョビンの曲を弾く時に作り上げた響きと似ているが、同時にモーダルな持続音の響きも持っている。一件フュージョンやジャズのように聴こえるが、実は完全に独自のジョニ・ミッチェル・サウンドになっている。ジョニ・ミッチェルの使うチューニングには他に次のようなものもある。

BF#BEAE(The Magdalene Laundries)
CGBbEbFBb (Sex Kills)
BF#D#D#F#B(Turbulent Indigo)
CGEGCD(Taming the Tiger)
AAC#EAE(No Apologies)
AAEGCE(The Windfall)

僕の1984年のアルバム『サイレント・フィルム』には1978年にオープンGで作曲した『アナベル・リー』が収録されている。1986年の『ノヴァ・カルミナ』にはオープンDで作曲した『Across the Seasons』が収録されている。2004年の『Red Moon』に収録した『絵の中の姿』はDモーダル(DADGAD)チューニングで演奏している。このチューニングで弾くとヨーロッパの中世・ルネッサンスのルュートの曲に似た響きがしてくる。僕の2000年のCD『Earth Guitar』の曲、『Different Languages』にはCGDEGCというチューニングを使っている。コード進行を中心とした部分とモーダルな部分がこの曲には交互にあらわれる。2006年のCD『絵の中の姿』のジョニ・ミッチェルのカヴァー曲、『Roses Blue - Both Sides Now』はCGDFGCというチューニングで演奏している。 僕はオープン・チューニングの事を中学生の時に初めて知った。最初はマーチン・カーシィー、ジョニ・ミッチェル、そして中世ルュート奏者のトーマス・ビンクリーに大きな影響を受けた。今ではブズーキの音楽、ペルシャのセタールの音楽などいろいろな別の楽器の弾き方からの影響も受けた、自分のスタイルになっていった。

 

グリサンド・ギター Glissando Guitar

グリサンド・ギターはサイケデリック・ロック・バンド、ゴングのギタリスト、デビッド・アレンが名づけた奏法。デビッド・アレンは1967年のある夜にピンク・フロイドの演奏を見ていると、ピンク・フロイドのギタリスト、シド・バレットがいきなりマイク・スタンドを持って、ギターの弦の上にマイク・スタンドをスライド・バーのようにこすりつけながら、2時間近くも演奏したのを見た。その時の受けた音楽的な刺激が忘れず、小さいメタリックな道具をギターにこすりつけると同じ効果が作れると発見した。これを彼はグリサンド・ギターと呼んでいる。デビッド・アレンは普段ギターの音に深いエコーをかけて演奏する。メロトロンと少し似た、弦の持続した響きがする。 僕は1983年の一枚目のソロCD『カルミナ』の時にもメロディーをグリサンド・ギターで弾いている。よく、これはシンセの音かと聞かれた。2005年にTzadikから発売したCD『AOI』でも使っている。なれていない人にとってはギターに聴こえない。

 

ブズーキ Bouzouki

ブズーキ Bouzouki
Bouzouki

最初にブズーキの先祖と思われる楽器が現われるのはBC.2300ぐらいの西アジアのメソポタミアにおいてだ。そしてBC.1500にはエジプトやヒタイト(現在のトルコ)に出現している。ギリシャのキプロス島のBC.1400の頃の食器にこの楽器を持った女性が描かれている。古代ギリシャではパンデゥーラとして知られ、三弦のタイプが多かったとされている。この楽器の親戚は現在でも東欧のブルガリアではタンブラとして知られ、中央アジアのウィグルやウズベックでは現在でもタンブーラという復弦3コースの楽器が使われている。(復弦3コースの楽器とは一つの弦に対して同じ音程かそのオクターヴ上の音程が復弦として付いている楽器。復弦3コースの楽器とは6弦が3つの2弦づつのセットになっている楽器。復弦4コースの楽器とは8弦が4つの2弦づつのセットになっている楽器。一つの復弦のセットが1コース。) 日本で正月によく演奏される「越殿楽」や多くの雅楽の曲は元々この地方の音楽からきたものが多いが、この楽器の親戚である三味線も中央アジアから中国と琉球王国を経由して来たと言われている。ペルシャではこの楽器の大きいものが多く、大型という意味のボゾックと呼ばれている。ギリシャのブズーキはこの名前が元になったと言われている。そしてチューニングも20世紀の始め頃は日本の三味線と同じく、♪ドファド(最後のドはオクターブ上のド)となっていた。1920年代ではブズーキのチューニングは♪ドソドが一般的になり、第2次大戦後になるとギリシャのブズーキは♪CFADというチューニングの復弦4コースの楽器に変っていった。これは演奏する音楽がオリエント的な響きから西洋的な響きに少しづつ変わっていった事が影響している。 ギリシャのブズーキを聞くにはまずこの楽器を有名にした1920年代のレンベティカを聞くべきだろう。レンベティカというのはある意味では今世紀初め頃のドラック・ミュージックとも言える。多くの曲はハッシシを吸ってハイになることを歌い、その音楽もハッシシやマリファナを吸った時に感じられるような、時間の感覚が遅くなった雰囲気で演奏される。 僕はブズーキをギリシャで初めて買った。色々な楽器屋を周り試してみたが、結局3コースのタイプを選んだ。この楽器には特に中東のモスクで鳴る音の響きのような奥深さが僕にとってある。楽器店の人も最も僕に合う響きをしていると言っていた。この楽器で日本の「越殿楽」が中央アジアで演奏されていた時のような響きを表現してみようと思った。それが昨年作ったアルバム『ユーラシアン・ジャーニー』に収録されている「Etenraku Jig」だ。

ブズーキ Bouzouki
Bouzouki

20年ほど前にドナル・ラニーが木製のバンジョーやギターを作っているピーター・アブナーの作品のバンジョーを見て、そのデザインを取り入れた4コースのブズーキを特注した。これが流行り、いまやアイリッシュ・ブズーキと呼ばれアイルランドではポピュラーな楽器となっている。 僕はギター作家の渋沢達雄さんが作ったアイリッシュ・ブズーキを使っている。僕はアイリッシュ・ブズーキでは独自のチューニングを作って、それで演奏している。ドナル・ラニーがこの楽器をより現代的で力強いものに変化させたのと対照的に、僕は昔のペルシャのセタールのチューニングを参考にして、より東洋的な響きにしてしまった。僕CD『ユーラシアン・ジャーニー』ではそのペルシャ音楽に基づいたよりオリエンタルなアプローチのブズーキが聞ける。

日本でブズーキを作っている人
ギター・リペア渋沢達雄
〒187 東京都小平市花小金井3-39-1
0424-73-5273

 

シタール・ギター Sitar Guitar

シタール・ギター Sitar Guitar
Sitar Guitar

ライブの時、楽器について受ける質問で一番多いのは、「このシタール・ギターって、どういう風にできているんですか?」というものだ。このシタール・ギターは僕のブズーキを製作した渋沢達雄さんが作ったもので、普通のフォーク・ギターに琵琶のさわりの音を出すための部品(彼も教えてくれない)を挟んでいる。それが琵琶やシタールのような響く音に変えているのだ。これは制作楽器であって伝統楽器ではないが、よくエスニック色を出すために使われている。最近のスマップのヒット曲にもエレクトリック・シタール(この楽器に似ているがよりギターに近い音を出すもの)が使われていた。僕も自分のCDをはじめ人のレコーディングでも頼まれてこの楽器を使っている。イギリスのボーカリストのピーター・ハミルは僕のこの楽器の音をとても気に入り「今まではインチキシタールだと思っていたんだけどね」と言っていた。エレクトリック・シタールを使った有名なCDではYESの「危機」がある。

 

ケルティック・ハープ Celtic Harp

ケルティック・ハープ  Celtic Harp
Celtic Harp

ケルティック・ハープと呼ばれているものの元祖は、メソポタミアのリラに見られる。古代音楽は人間がどのように宇宙を観ていたかと繋がっている。たとえばもっとも古いメソポタミアのリラは、9弦で、それは神話で宇宙の創立者EA が九頭の野獣を飼い慣らし、宇宙に平和と秩序をもたらしたと言われているからである。つまり音楽的な理由だけで作られていない。弦が九つであってそれぞれ違う音になっているのは、神様が九頭の野獣を飼い慣らすことによって宇宙を治めたことに繋がっている。その後、七つの惑星がそれぞれどのように地球の魂に影響を与えるかという占星術的な考え方がメソポタミアに発達すると共に、リラの弦は11弦になり7+4という風に弦の使い方を分けて弾く奏法が音楽技法の中心となる。
古代エジプトの絵には沢山現代のハープと同じ形をしているものが見られる。
ハープの形はおそらく最初は弓を引っ張って弾いてみたところから来ている。その内にしっかりした板の上に常に引っ張られている弦が並べてある三角の形に落ち着いたのだろう。
ケルティック・ハープの伝統は一度18世紀に絶えているが中世時代からそのころまで書かれているハープ音楽についての文章を見ると、古代中東音楽との繋がりがその理論や技法においても見られる。例えば1873年のユージーン・オ・カリーの書いた「古代アイルランド人の風俗習慣」にはある神話の話が書かれている。ダクダのハープが奏でる三種類の音楽から三人の息子達の名前が付けられた:悲しみの響き、喜びの響きそして眠りの響きこの三つが古代中東音楽の種類であったらしい。喜びの音楽と悲しみの音楽はタオの陰陽のように男性的な要素と女性的な要素を表している。古代中東の考え方ではそれぞれの魂に独自の比率で男性的な部分と女性的な部分があって、詩人は聞く人の魂にあった比率の計算で、歌を作るとその相手は感動すると思われていた。このように音楽は、どのように魂に影響を与えて心を動かすかが古代では重要であった。後に18世紀では4種類の音楽にスコットランドのバグパイプ奏者は分けている。愛の音楽(喜びの音楽)、悲しみの音楽と戦争の音楽、肉(食べるための)音楽、そしてこれらにそれぞれ違った音階とハープのためのチューニングがあった。
リズムも三つのタイプが中心にあった。一つはジグでこれは元々神と女神の結婚を表す祭りのための音楽で長い音符の音とその半分の長さの短い音符の音が交互になる。現在では8分3や8分6のリズムと表記されるタイプ。ラメントは古いチーフや王様あるいは神様が亡くなった時のための音楽で、元々は生け贄などの儀式にも使われていたかもしれない。このタイプは元々4分3の決まったリズムの形があった。もう一つのタイプは、現在いろんな国でもポピュラーなマーチだった。これは4分4でも8分6でも存在していて、不定音符をつかっているものが多かった。
これらの音楽の面白さは特に古代史や神話に興味を持っている人にとってその長い歴史的な繋がりや古代の様々な文化同士の繋がりがロマンを感じさせる。素晴らしいアルバムも沢山ある。
アラン・スティベルはフランスのケルト人が住むブルターニュ地方のハーピストで、彼は戦後のケルティック・ハープの復活に大きな役割を果たしてきた。彼の父親は1930年代から昔のケルティック・ハープの作り方を研究して自分で作ってきた人だ。アラン・スティベルは鉄弦ハープを中心に1959年からトラディショナルな曲をレコーディングしてきている。1970年代の初めにはギター、ベース、ドラムスを含むトラッド・バンドを作っているし、その後も純粋なトラッドからニュー・エイジ、オーケストラとの共演、即興演奏、ケイト・ブッシュとの共演から、クラブ・ミュージックとの共演など、ハープと他の楽器との可能性をあらゆるジャンルで挑戦している。
アメリカのミネソタ州のハーピスト、アン・ヘイマンも自分の歴史の勉強から古代ケルティック・ハープの音楽を再現した人だ。彼女は古代から残っている文章からどう自分のテクニックをどう作り上げたかを細かく説明した本をCDと共に発表している。彼女のCD「クイーン・オブ・ハープス」に入っている「ラメント・フォア・ハープ」はまるでミニマル・ミュージックのような32分かかる曲だ。
ロビン・ウィリアムソンは1960年代では当時のサイケデリック・シーンやヒッピー・シーンの中で代表的なバンドとなっていった。インクレデブル・ストリング・バンドでギターとヴォーカルやアジアのあらゆる楽器を弾いていた。しかし60年代の彼の音楽はドラッグやコミューンのライフ・スタイルを表すような音楽だとすると70年代からはトラディショナルな音楽についてかなり細かくアカデミックにも研究した本をいくつか執筆するようになっていった。80年代からはハープの研究に取り組むようになり伝統が絶えてしまったスコットランド古来のハープ曲を復元したCDを何枚か発表している。90年代の彼のCDではジョン・レンボーンとの共演ライブ版でのトラッドの曲の演奏が特に素晴らしかった。
僕は一度1987年に彼に会っている。日本の箏奏者。沢井一恵のアルバムをプロデュースする際に彼に箏の曲を頼んだこの曲は彼の研究してきたケルティック・ハープの古来からの曲作りとそれに似た響きのする17弦箏の為に自然に響くような新しい曲を書いてきた。
彼は五線譜と彼自身がハープで演奏しているテープを送ってきた。
トラディショナルな奏法に基づきながらECMのジャズのような自由な即興演奏をハープで行ってびっくりさせた人はサヴォナ・スティーブンソンだ。彼女のCD「カッティング・ザ・コード」でのダニー・トンプソンとの即興演奏には他にない素晴らしさを感じさせる。僕が去年作ったCD「ユーラシアン・ジャーニー」ではこれを聞いてダニー・トンプソンに演奏を頼んだ。
僕のアルバムでは1500年前の正倉院に残されていた曲や古代ギリシャの残されたメロディーや中世時代のメロディーを使いながら、新しいユーラシアのトラッドを作ろうとしたCDだ。ハープを箏やシタール・ギターやブズーキの響きと共にとけ込ませた弦楽器サウンドの音作りをしている。

 

ハーディー・ガーディー hurdy gurdy

ハーディー・ガーディー  hurdy gurdy
hurdy gurdy

この音を初めて聞いたのは、中世音楽のグループ、クレメンシック・コンソートのアルバム『カルミナ・ブラーナ』でハーディー・ガーディーと歌を担当していたルネ・ゾッソの演奏でだった。このアルバムは今でもこの楽器を聞くためにはお勧めしたい。まるでジム・モリソンのようなロックのようなボーカルとシンセでも出せないような変わった弦楽オーケストラのような響きには驚いた。この楽器は丸い木で6本位の弦を擦りバグ・パイプのような持続音と大正箏に付いているようなタイプ・ライターのキーのようなもので弦を押さえていくことによってメロディーを弾いてゆく。中世時代にはこの楽器は、シンフォニーとも呼ばれ、ヨーロッパ中の宮廷で使われていた。しかし一時期乞食の楽器に落ちぶれてしまい、その後またバロック時代に宮廷で再び流行った。その時はビバルディーやレオポールド・モーツァルトもハーディー・ガーディーのための曲を書いている。この頃の楽器は宝石などを楽器の中にはめ込んだり、美術品としてかなり凝ったデザインをしていて、今でもヨーロッパの博物館に時々飾ってある。またこの頃から楽器としては半音階もできるようになっている。しかしその後再び、旅をしながら街角に立って演奏する乞食しか使わなくなり、伝統楽器としては第二次世界対戦の頃にはハンガリーの乞食達しかもはや弾いていなかったらしい。その後から中世音楽の演奏者達がこの楽器で昔の曲を復元するようになった。特にフランスで作られたものが多いのは、今世紀の初め頃までフランスでは祭りの舞曲を演奏する楽器として使われていたからだ。僕はこの楽器は芝居の音楽で色々使ったが、CDでは『ユーラシアン・ジャーニー』、『Earth Guitar』、Tzadikから発売されている『Izutsu』などで弾いている。僕はこの楽器ではインドのバイオリン式のグリサンドのようなの弾き方もしている。

 

プサルテリー psaltery

プサルテリー  psaltery
psaltery

この楽器は鉄弦を三角形をした木の箱に貼って指かギターのピックのようなもので弾きながら音を出す。この楽器の名前は古代ギリシャのプサルテリオンからきていて、今や中東からヨーロッパ中にある。中国にある洋琴という楽器もこの楽器の親戚である。英語だとサルテリーと呼び、ロシアではツィムバラと呼んでいて、イランやイラクではカヌーンと呼ばれている。この楽器にオートマティックに弾く装置と鍵盤を付けたものがチェンバロ(ハープシコード)となり、バロック時代に沢山の曲がこの楽器の為に作曲された。この楽器は中東音楽での使い方とヨーロッパの中世音楽での使い方を比べると面白い。トーマス・ビンクリーのCD『Troubadours, Trouveres, Minstrels 』(ドイツのTeldec4509-97938-2)が特にお勧めだ。
この楽器の特徴はとてもキラキラとした音が長く持続して重なって行く響きにある。1986年にイギリスの楽器店で初めて出会った。値段も安くて小さいわりには2オクターブのレンジがあるので、バスと電車の旅に持って行き、まるで吟遊詩人のような気分で曲作りをしていた。僕の86年のCD『ノヴァ・カルミナ』(MIDI)の うちの3曲はこうして作った。その後もいろいろなCD、CMや映像の音楽でも使っている。 。

 

コロナミューズ cornemuse

コロナミューズ cornemuse
cornemuse

コロナミューズ〜月の女神の話〜 コロナミューズは古代から月の女神の祭りに使われていたと言われる。コロナ(角笛)ミューズ(女神)には女神の角笛という意味を持つ。フランス(とくにケルト人が住むブルターニュ)ではコロナミューズという名前はバグパイプのことを指す。だが僕が使っているのは(写真)ルネッサンスのコロナミューズを複製したものだ。写真でわかると思うが、これはバグパイプのメロディーを吹く部分を独立させた楽器、あるいはオオボエの先祖となったダブル・リードの楽器ともいえる。この楽器は中世ヨーロッパやインドのシャルマイやチャルマイそして日本のチャルメラや宮廷楽器の篳篥などと繋がっている。写真にいっしょに写っているのは実際のバグパイプのメロディーを吹く部分のチャンターと、その練習用(小さい音でなる)モデルだ。 今ではバグパイプというとスコットランドの楽器だと思われるようだが、実際は古代からヨーロッパ、北と東のアフリカ、そしてインドという広い地域に存在していた。動物の内蔵の袋を使い、そこから風を送り込んでダブル・リードを鳴らす。この楽器は古代シューメールにも起源があると言われ、古代のローマ帝国時代にはもうすでに今と同じ形のものがあったという。この楽器をイギリスに持ち込んだのは最初サクソン人だったので、サクソン・パイプと最初イギリスでは呼ばれていた。それまでスコットランドの人々はハープをメインの楽器としていたが、いつもサクソン人との戦に負けてしまうことに気づき、サクソン・パイプを使うようになった。だがスコットランドのバグパイプは1オクターブのレンジしかなく、チーフテンズの使っているアイルランドのイーリアン・パイプやイギリスのノースサンバーランド・パイプのほうがレンジは広い。 今でも東ヨーロッパのハンガリー、クロアチア、ユーゴなどではイギリスとはひと味違う面白い使い方をしている。またクレマンシック・コンソートという中世ルネッサンスの音楽を演奏する楽団は「カルミナ・ブラーナ」をはじめ、色々なCDでこの楽器を使った昔からのメロディーの魅力を聴かせている。他には、楽器をそのバグから独立させ、口から直接息を吹き込むというやり方をする演奏家もいる。ブルターニュのアラン・スティーベルはこれでもっとも有名だ。特に彼のCD「ライブ・イン・ダブリン」は素晴らしい。まるでリート・ギターのようにバンドの上に響く音の魅力に感動し、僕はこの楽器を手に入れた。その後、資生堂のCみや記録映画などでこの楽器を使い、CDでは山本耀司の「Your Pain is your Music」の一曲目のジョン・ケイル(元ベルベット・アンダーグラウンドのメンバー)が詩の朗読をしている曲やTzadikから発売されている僕のCD、『AOI』や『Red Moon』などでも吹いている。 ダブル・リード楽器自体もかなり古くから使われている。古代ギリシャの絵や詩に出てくる笛のほとんどはダブル・リード楽器だ。訳すときに“オオボエを吹く乙女”と書くよりも“笛をふく乙女”と書くほうが詩的に聞こえたので、今ではどれだけポピュラーだったかは忘れられている。現在のギリシャでは、不思議とクラリネットが管楽器の中では最もポピュラーだが、古代ではクラリネットの先祖はむしろエジプトの方で盛んだった。ギリシャの古い絵を見ると、二本同時に吹いているものが多い。おそらく片方はパグパイプのようにドローンか、そのメロディーの伴奏音を出している。このような吹き方は今でも、バルカン、北アフリカから南アジアに広がっているが、ギリシャの最も古いものはクレタ島の女神のための儀式の絵でみられ、その名前コロナ・ミューズの由来を語っているようだ。 今でも英語でルナティック(気が狂う、月にとりつかれる)という言葉があるように古代ヨーロッパでは月は女神を表し、詩人や歌を作る人は月からインスピレーションを受けて作ると言われていた。実際は人間の女性が月の女神の代わりとなり、詩人はその女性から神秘性を感じ取ったという。 ここで一つ月の女神にまつわるケルトの物語を紹介しよう。 7世紀にアイルランドである貴族で詩人の女性が、24人の弟子たちと国を旅していた。彼女は道中で詩人と出会い、二人は恋に落ちる。しかし、肉体的な関係を持つと創作の力となる神秘性が崩れると考え、彼女は修道院へ入ってしう。彼は悲しんだが彼女のとった行動は宗教的な目的からではなく、二人の間の詩的な関係を長く続かせようとした為なのだと悟る。二人は修道士から‘会うのはいいが話は出来ない’‘話は出きるか顔おあわせることは出来ない’というどちらかの条件を選びなさいと言われる。彼らは話が出来る方を選び、隣同士の部屋で顔を合わせずに話し続けた。だがある時、彼はもっと近づこうとしてしまい、約束を破ったと言われて修道院から追い出されてしまう。そして彼は愛をあきらめ、殉教者となった。彼女は惹きつける力の上では勝ったが、一人になった悲しみのために死んでしまう。 このように若い女性や処女が女神の身代わりになる習慣は世界中にある。ヒンドゥー教には選ばれた少女を生神として崇めるという信仰があるし、また日本や琉球の巫女も同じような存在といえる。古代からの繋がりをここにも感じることが出来る。

 

13弦箏は中国から雅楽の楽器とともに奈良時代に日本に渡って「箏」といわれてるが、その昔は25弦あったらしい。これには次のようなエピソードがあるそうだ。秦の楽人に薄義という人がいて25弦の瑟を持っていた。彼の2人の娘がそれをほしがってどちらもゆずらなかったので、父がその楽器を2つに割って、12弦は姉に、13弦は妹に与えた。そして12弦を箏といい、13弦は頌琴といって、俗部に属する楽器とした。日本に伝えられたのは、その俗部の楽器であり、箏の名は、娘の争いを意味したものだともも伝えられている。また、中国が秦の帝王によって1つの国家に統一される以前の貴族の家の遺跡から発掘されるものには20弦の箏など、今より大きな物が多い。その後13弦になった後、明時代や清時代にまた弦の数が増え、今では21弦の鉄弦が張られている。ベトナムでは箏は16弦にり、ダン・トランと言われる。こうした大きな共鳴する板に弦を駒で並べて決まった調弦に合わせるという発想は様々な国にあり、ヨーロッパのオーストリアにもチターという同じ様な発想で出来た楽器がある。中世ヨーロッパや古代ギリシャから残っているプサルテリーやプサルテリアムも似た発想から来ている。日本にも奈良時代以前から和琴と呼ばれている楽器があり、この楽器はアイヌが使っているトンコリとも似ている。これは弥生時代の人々が、大陸から移住してきた時に持ってきた物なのか、独自に考えられたものかはわからないが、シャーマニズムのような儀式に使われていたらしい。おそらく男の人がこれを琴を弾き、巫女の様な存在の女性がトランスに入りあの世との交流に使われていたのだろう。今では雅楽の祭りの東遊びに使われていて大きな板の上に6弦がEGBDADとチューニングされている楽器である。 僕が箏を使うようになったきっかけは、沢井一恵のために箏の曲を書いてみないかという依頼があってからだ。その時作曲したのが「目と目」という曲だった。 子供の頃から世界の歴史に興味を持っていたし、また琵琶やリュートを勉強していたこともあって、色々な楽器や音楽が古代から民族や国境を越えて交流していたことは知っていた。また、自分の曲でも中世ヨーロッパから中国や日本までの音楽的な繋がりを表現しようとしていたので、興味深い仕事になった。 1986年に作ったCD「ノヴァ・カルミナ」のプロモーションの為に太田裕美が司会をしていたラジオ番組に僕が出演して彼女と知り合い、「目と目」を歌ってもらえないかと頼んだ。彼女の歌によってこの曲には今までどんなジャンルにもなかったような不思議な世界が出来た気がした。この曲は最初イギリスで録音され、沢井一恵の「目と目」というタイトルのCDとして発売されていたが、今では廃盤となっている。このCDには他にピーター・ハミルが歌っている「散りゆく花の歌」や中国の長編小説「紅櫨夢」に基づく語りと箏の曲など、僕の作曲したものが入っている。 僕自身も80年代に中国の箏のレッスンに何度も通い、CDでも中国箏やベトナム箏を何度も使っている。僕のソロのCD「ユーラシアン・ジャーニー」ではベトナムの16弦箏を沖縄やインドネシア風の5音階に調弦して「エアー」と「きみになれたら」という曲で挑戦している。