現在執筆中のAyuoの自伝的小説からの抜粋コーナー



 

「ウィリアム」


十代の後半になると毎日、昼頃、強いハシシか大麻を取っていた頃がある。しかし、僕自身はその時もその後にも自分でマリファナやハシシを買った事がない上、自分では持っていなかった。人が持っている所にいたにすぎない。70年代ではそれは変わった事ではなかった。

今ではそのような事をする必要がない。 当時これには目的があった。 音と空間の感じ方が変わり、その感覚を何とか自分の作る音楽や詩に表わしたかった。そして、その方法論が少しづつ理解出来るようになった。

当時、インターナショナル・スクールの高校の友達で物理学の事をよく知っている男がいた。彼は学校の中でも優等生のトップだった。よく先生たちは今時このような生徒がいると思わなかったと言っていた。物理学と数学が特によく出来る人だった。一度、彼によくこんな難しい事が簡単に分かるねと言った事がある。彼は数学も科学も高いレヴェルになるとイマジネーションが大切になると言っていた。 彼と最初、話し出したのは朝学校に行く電車が一緒だったからだ。彼はテキサス出身だった。背が高く、ブロンドの長い髪が肩の下まであった。知的な顔をしていたが、70年代のヒッピー風の男だった。聴いているロック・バンドや行ったコンサートについて話している内に日本にマリファナがあまりない事をつぶやいた。彼はいくつか確かめに質問をしてから、彼はマリファナが手に入る方法を知っていると言っていた。しかし、気をつけないといけないと言っていた。
学校で科学や物理学を教えている先生もマリファナやハシシをやっていたし、売ったりもしていた。彼はイギリス人で、本当はボブ・ディランのようなフォーク・シンガーになりたかった。インドにも何度も旅に出かけていた。その内、日本に住みながら、高校の科学の先生をしながら、夜はギターでフォーク・ソングを歌っていた。僕が会った頃はもう頭の毛も薄く、大きなメガネをしていた。彼は朝しょっちゅう遅刻していた。いつも、つまらなそうな顔をしてクラスを教えていた。時々好きなトピックが出ると目がかがやき出した。おそらく、彼は学生運動やヒッピーの世代でアジアに夢をふくらませたまま、来て見た所、自分が夢を見ていたユートピアとは違っていたので、内心ではガッカリしていた人だと思った。彼のクラスが最初のクラスだったので、学校に僕が遅刻してもあまり怒られる事はなかった。 もう一人の科学の先生、生物学を教えている先生もやっているという噂だった。彼はスポーツ好きの赤毛のアイルランド人だった。彼は一年経つと韓国人の女の子の生徒にセクハラしたという噂で首になっていた。しかし、真相は違うという噂も流れていた。英語や文学を担当しているイギリス人の先生が彼を首にしたくて、落第しかけていた女の子の生徒にそういう証言を書いたら、合格にしてやると言って首にしたと言う話だった。これは他の先生から聞いた話だった。その学校では先生同士が立場の取り合いをしていたから仲が悪かった。その生徒は金持ちでもあった。しかし、どのクラスでも勉強はしていなかった。僕が他の先生から聞いた話が正しいように思った。
絵の先生はヒッピーのような格好はしていたが、彼はメディテーションでハイになれるという噂だった。
学校で昼休みの時間にウイリアム、彼の彼女ドロシー、彼の弟、ヘンリー、同級性のティナと一学年上のロスで学校のそばの公園で集まった。ヘンリーは銀の細いメガネをしていて、おかっぱ頭だった。ロスはニューヨークから来ていた黒い髪の青年。これはめずらしかった。大抵のアメリカ人は田舎の人たちだった。彼はイギリスのロック・バンド、イエスのファンだった。その他にはフュージョンを聴くのが好きだった。早弾きのギターに特に憧れていた。話しも早口だった。ティナは僕のクラスにいた。細くて長い黒い髪を腰まで伸ばしていて、あまり人と話さなかった。いつも、女の子の友達とクラスの後ろに座っていた。アメリカの田舎から来た人だった。ドロシーはきんきんする声でうるさく話すのが好きなアメリカの田舎の子だった。みんなであまり人がいない崖の所に行った。そこでマリファナかハシシのパイプを一人づつ2−3回吸ってから次の人に渡していった。映画に出てくるようなインディアンの儀式みたいだった。僕らには一緒に秘密で吸っているという事以外にあまり共通点がなかった。午後はアートか音楽のクラスだった。吸った後にバルトークを聴くとその音楽から映画のようなイメージが広がった。さらに音一つ一つが普通よりも深く感じるようになった。その音が向かっている方向性や音一つにある感情が普通の状態よりも感じ易くなり、これはもっと追求すれば、何か学べる事があるに違いないと思った。

ここは日本だったが、日本人の生徒で一緒に吸っている人はいなかった。日本ではマリファナやハシシに対してアメリカとは全く違う考え方を持っていた。アメリカでは酒やタバコの方がマリファナよりも害があると思われていた。酒を飲む人を飲む学生の方が警察に捕まる可能性が高かった。
ある日の午後、クラスに入ると日本の学校から放り出されてインターナショナル・スクールにやって来た日本人の生徒とハワイヤンの生徒が大声で騒いでいた。クラスの女の子、ティナは大麻をやっている。目が真っ赤だ。警察に訴えてやると言っていた。ティナは泣きそうな顔をしていた。先生たちはその騒ぎをなんとか静めようとしていた。その日本人の生徒とハワイヤンの生徒はクラスでは一番成績が悪く、全く勉強をしてない2人だった。いつもクラスで叱られていた。トラブルメーカーがいるとしたら、いつもその2人のどっちかだった。先生たちも他の生徒たちもいつも嫌な目でこの2人を見ていた。おそらく、どっちかがティナに手を出そうとしたに違いないと思った。そして、嫌がられた時に、いやなら学校に言ってから、警察に突き出すぞと脅したのにちがいない。その内の一人は特にティナに前から興味を持っていた。彼らならやりそうな事だ。この事件は学校内で解決した。先生たちも校長先生もこの2人がやりそうな事は分かっていた。ティナを脅しているようにクラスにも見えていた。おそらく校長先生と何人かの先生がこの2人に話した。次の日、学校に行くと何事もなかったように授業があった。ティナもいた。あの2人は静かにクラスのはじっこに座っていた。誰もこの事件については話そうとはしなかった。
その後も今まで通りに続いていた。春になるとウイリアムがLSDを手に入れて、僕とロスにくれた。学校の音楽と作曲の先生はロスはあまりにもドラッグをやっている感じで学校に来ているから気をつけろと彼に伝えろと僕に言った。彼はまさか覚せい剤をやっているんじゃないだろうねと聞いたので、ただマリファナだと僕は答えた。マリファナやハシシのサイケデリック系のやっている多くの人は覚せい剤やヘロインはアブナイものとして見ていた。しかし、6月になって、アメリカの一年の学校が終わるとウイリアムとヘンリーは東北にマリファナを拾いに行っている時に捕まって、アメリカに帰された。9月に行くと公園で一緒に吸っていた仲間は一人もいなかった。全員アメリカのどこかに帰ってしまった。ウイリアムはその後どうなっただろうか?物理学や科学の世界に進めたか?あるいはジャンキーになってしまったか?でも、もしかするアメリカの田舎で科学や数学を教えているのかもしれない。
それまで僕は日本に住んでいてもアメリカ人だけと話していた。日本には実際にはまだいないのと同じだった。

一つはっきりしていた。勉強が出来ない不良の学生はマリファナをやらなかった。もし、何か取っているとしたらタバコと酒だった。マリファナをやっている生徒たちは優等生のグループに集まっていた。そしてイマジネーションも他の生徒よりも豊だった。ピエール・シェイファーのサウンド・コラージュで作ったテープ音楽を聴いてもイマジネーションを広げて聴く事が出来た。そして大麻から伝わってくる独特の平和的な雰囲気を持っていた。酒を飲む不良グループは十代後半になると女が欲しくて欲しくて暴れていた。それが醜く見えていた。マリファナをやっているグループにはそういった感じがまだなかった。ある意味では早くからマリファナをやっていたから、そういった感じが遅れていた。マリファナにはカンナビノイドを分泌するレセプター(受容体)に一時期的に影響を与える。LSDはセロトニンを分泌するレセプター(受容体)に一時期的に影響を与える。セロトニンについてもカンナビノイドについても最近の方が色々な研究が進んでいる。それについては『なぜ1960年代のドラッグ・カルチャーが無意味になったか』という章に書いてある。

この頃、僕はこのように思うようになっていた。マリファナから来る開放感は日常の生活から離れた異次元がどんなものかと示すいくつかの方法の一つだとという気がした。それは人によっては宗教につながる事であったりするし、芸術にはそういう部分を含んでいる。そうでなければ、人を感動させて、別の次元に連れてってくれるような芸術作品にその作品はなれれない。迷っている人にとってはその人をダメにしてしまう危険なものでもある。日本の漫画家、水木しげるの描く異次元からもそういった感覚が伝わってくる。おそらく、古代からのいろんな神秘主義者が感じていた事だろう。音楽や詩もその一つの方法論になれるだろう。
昔の中東やインドの人たちにはハシシを制限した状況で使えば、考えを広げるためのツールになると考えていた。今世紀の初め頃のロシアの数学者で小説家、そして後には神秘主義者グルジェフについての本を多く書いたP.D.ウスペンスキーはメスカリンを取って、数学のイメージを思い浮かべ、古代の神秘学をいろんな面から探って行く本を書いた。アメリカの小説家でエドガー・アラン・ポーの後継者と言われているラブクラフトの短編小説集にはハシシを取りながら夢の奥深くにある世界を調べようとする主人公ランドルフ・カーターがよく出てくる。 しかし、これには危険な部分がはっきりとある。何世紀も前から中東にはハシシを取り入れた宗教やインドにはタントラ教などセックスを儀式に取り入れた宗教があったが、多くの人たちをダメにして行ったケースが多い。それから瞑想によって感じる高次元の感覚とハシシなど体の外部の力を借りた物は似ていている部分もあるだろうが、やはり違う。現実の世界を別の見方から見るとどうなるかというシミュレーションのために使われた事ある。60年代でも最初に何か神秘思想につながると思って、結果的にはセックスとドラッグに溺れていった人の方が多かった。その為にメキシコのペヨーテ(アメリカの南西やメキシコに生えているさぼてんでLSDやメスカリンにも含んでいる物質が自然に含んでいる)を使った儀式のように長く伝統的続いている儀式はグループで目的と方法を持って使う。
またハシシやマリファナは中毒になる事があるかどうかというと、ハシシやマリファナ自体には中毒にはならない。タバコとは違う。しかし、セロトニンを分泌するレセプターを刺激しているので、他の方法で刺激する事を求める事はある。よく太った昔のロック・シンガーを見かけるのはたくさん食べて満腹になる時に脳からセロトニンが分泌されるからだろう。また、全てのドラッグをやめて体操やボディー・ビルドに行ったロック・ミュジシャンもいる。これは長く走ったり運動をするとアドレネンが脳から分泌されるからだ。

ハシシやマリファナを取った後に音楽を聴くと別の聴き方が出来る。一つの音により集中的に聴く事が出来る。全体よりも細かいところに集中出来る。
例えば、あるロックのレコードをかけて、右のスピーカーの方から聴こえてくるギターの弾く繰り返しパターンを意識的に頭の中で完全に無視して、左のスピーカーの方から聴こえてくるギターの音の旋律の動きだけを追って行く事が出来る。
絵を例に取れば、大きなキャンバスの絵の前に立って、一つのディテールをその周りから切り離して見る事が出来る。
音を絵みたいに頭の中で描いて見る事も出来る。まず雨のふる音を頭の中で想像して見た。雨の音そのものがまるで目の前にスピーカーがあって、そこからなっているように聴こえてきた。映像みたいに、頭の中ではっきりとそのイメージも見た。そこにアコースティック・ギターでのアルペジオの旋律を入れて見た。想像したものがレコードの音みたいにリアルに聴こえてきた。この感覚は作曲家が譜面を見て音が聴こえてくると言われているよりももっとリアルで実際に目の前でなっているように感じる。
それから音を好きにコラージュしながら、それを聴いて見て、楽しめるようになった。数学者にとってはこのような方法で幾何学的なイメージが見えるという事も感覚的に理解出来るようになった。
問題は頭で聴こえている音をどう実現出来るかだった。それから、それをそのまま実現したとして、それは面白いだろうか?頭の中で聴こえている感じの方が自分がそれを実現して演奏して見る感じよりもよかったりする。
どうかして音楽でもって、日常の時空を抜け出す方法があるはずだ。そう思っていた。
アルダス・ハグスリーという作家もメスカリンというドラッグを使いながら、人間の脳の力をどれだけ拡大出来るかを実験していた。彼の書いた”ザ・ドアーズ・オブ・パーセプション“と言う本のタイトルから取って”ザ・ドアーズ”という60年代のバンドの名前がつけられた。目的を持って、自分を実験材料として使っている場合と違法的なドラッグとして一人か数人で隠れてやっているのは全く違う。“良い気持ち”になる事を求めているのではなく、普段の日常生活には見えない別の次元を求めている。 文化人類学者のレヴィー・ストロースは:

Dreamtime 夢の時
________ ___________
Normal time 日常の時間

という分け方をした。 夢の時というのはどこの文化にもある神話の世界が存在する人間の心の中の場所にある時間の感じ方だ。世界や宇宙がどのように出来ているかという事を神のイメージを使って、説明していた事は世界中にある。そして神が存在している次元は、日常を超えた次元にあるから、神がいる時間も、空間も日常の時間を超えている。天国は日常の世界にはないと同じように天国での時間帯は日常の時間帯ではない。

イスラムのスーフィ教では音楽や踊りを使って、エクスタシーの状態になった時こそが神に近づける時だと思われている。パキスタンの歌手ヌスラット・ファテ・アリ・カンのCDだけを聴いてもその感じは伝わってくる。 ギリシャのレンベチカの1920年代から30年代の音源を聴くと音楽のリズムそのものからも強いハシシの影響が伝わってくる。ハシシやマリファナを取ると独特のリズムの感じが音楽に出る。これは60年代のサイケデリック・バンドのカントリー・ジョー・アンド・ザ・フィッシュの最初の2枚と比べて見るとその共通点が分かりやすい。サイケデリック・ドラッグをやった事のない人にとっては少しルーズに感じるリズムだ。そして、ちょっとリズムがちょっともたっている感じや少し夢を見ていると起きている時の間のような感じが音楽から伝わってくる。だが細かい所を聴いていると細かい所に大きな動きが普通以上にある事が多いのに気が付く。これはギリシャのレンベチカにも60年代のサイケデリック・バンドにも1920年代のジャズやブルースの録音の一部にも感じられる事だ。 ブラジルのサンバの元となっているマクンバやカンドンブレというアフリカから伝わった神や女神を祭る儀式ではリズムをトランス状態になるまで繰り返してゆく。マクンバではまた煙は霊界とつながるために良いと考えられているので今でもタバコや葉巻を儀式中に吸う。ブラジルのサンバのルーツというタイトルで発売されていたアメリカのノンサッチというレーベルから出ていたアルバムを聴くと、音源そのものを聴くだけでトランスに入りそうなパワフルな音楽が入っていた。これも精神状態に変化を与える一つの方法だと思った。 これはブラジルだけではなくキューバやカリブ海の島にもアフリカから伝わっていた。ある時、トリ二ダッドから来たパーカッションニストに会ったら、アフリカの色々な伝統的なリズム・パターンを知っていて、細かくいくつもコンガで叩きながら教えてくれた。その演奏を僕はテープに取っておいた。キューバやプエルト・リコではアフリカから伝わって秘密に400年以上も信仰していた宗教儀式の事をサンテリアと呼んでいる。そこで演奏されるアフリカから伝わったリズムからボンバやサルサのリズムが来ている。つまり、ラテン・ポップスの後ろに400年以上も前のアフリカの神に捧げる宗教儀式のリズムが入っている。白人たちの間にはこれらのリズムが入っている音楽は恐いと思っている人たちもいる。同じカリブ海のハイチではアフリカから伝わった神を信仰する儀式をヴゥードゥーと呼んでいる。アメリカやヨーロッパでヴードゥというタイトルがついたホラー映画がいくつも作られていたのは彼らにとってミステリアスで恐怖感を与える宗教だったからだ。 こういった方法は南米やアフリカだけにあったわけではなかった。韓国にはシナウイというシャーマニズムの儀式では即興的に演奏されていたトランス・ミュージックがある。日本の明治時代以前には神社で毎年一晩中タイコと踊りを使った祭りをやって、その内神がかりになった人が次の年が豊作になるかどうかをかたったらしい。今でも島根県ではそういった祭りが続いているらしい。 音楽の起源をみるといつもリズムが先にあって、それと共に踊りがあって、歌があった。おそらく、こういう音楽は世界中にあっただろう。ギリシャ文明と音楽について書いてある本を読んでもリズムが先に指定してある歌が一番古くから残っている。全ての人間は50,000年から70,000前に共通にアフリカから出て世界中に広まったと言われているが、世界中の人たちの過去の歴史中にこういった音楽と神がかりになるための儀式があったに違いない。そして、そういった音楽と再び出会って、そのリズムの魅力が分かると過去の歴史と同じようにリズムによるトランス状態と高次元を求める方法が体内の中から見えてくるかもしれない。

ハグスリーやウスペンスキーにとってメスカリンやLSD系ドラッグは昔の宗教儀式で使われていた状態を再び探って、神話的なヴィジョンを見る事だった。ハグスリーは人間にとってそれは必要な事だと思っていた。しかし、その危険性も感じていた。彼の本『ブレ−ブ・ニュー・ワールド』では独裁者がSOMAと言うドラッグを使って、人々が反抗しないように酔わせてしまう。SOMAというのもLSDと似た成分が含まれているキノコだ。 自分の脳を自分の力でコントロール出来るようになるか、あるいはコントロールされてしまうか? 世界の別の見方を意識的に体験しょうと思って、その目的のために使った人たちにとってはそれがためになったと言っている人たちがいる。しかし、はっきりとした目的がなく、日常の世界から単に抜け出したいと思ってやった人たちや、酔った気持ちがいいからやっていた人たちにはかえって人生の目的が見えなくなった人たちが多い。自分の意志がどれだけ強いかによって、新しい世界を見る事が出来て自分の脳をよりコントロールする事が出来るか、あるいはコントロールされてしまうかという違いが出る。そのため、1960年代にLSDを使うことを流行らせ、アメリカでの大麻の合法化の運動をしていたティモシー・リアリーはサイケデリックスはみんなが理解して使えるものではないと最終的には言っていた。 一度サイケデリック系の音の聴き方や作り方が理解出来てくると、今度はそれを意識的に作る事が出来ると思った。マリファナやハシシ、LSDは脳内の中のセロトニンを分泌するレセプター(受容体)に刺激を与える。これによって感じてくる音や絵の世界は例えば覚せい剤から感じてくる物とは違う。アルコールの影響を含んで演奏している音楽とも違う。例えば、1920年代のアメリカのジャズの録音を聴くとマリファナから出て来る独特の雰囲気を持っている録音がいくつもある。デューク・エリントンの初期のビッグ・バンドのSP録音もそうだ。後の時代になって、アルコールがマリファナの代わりになると、音楽の感じも変わって来ている。曲調というよりも、特にリズムの感じが。

僕の作品のいくつかには意識的にサイケデリック体験に基づく音の作り方をして、発表している物がある。目的は古代では高次元を求める時やっていた方法をなんとか今の時代の生活テンポに写し返して、僕が弾く今の楽器で異次元の感覚が伝わってくる音楽が作る事。勿論、聴き手も音楽を聴く時にはそれを求めていなければ、伝わらないかもしれない。音楽とはその演奏している人の発信しているある種のヴァイブレーション(周波数)を空気を通して聞き手に伝えているものだ。グレートフル・デッドのジェリー・ガルシアは大量のLSDをやって、そこから伝わってくる感覚を彼のギター・プレイで表現出来たとよく言われている。そしてCaptain Tripというニックネームが彼に付いていた。Grateful Deadのライヴ・アルバムで聴けるDark Starという曲の演奏は特に凄かった。彼からハイの感覚が音楽の演奏を通して伝わって来るのだ。初めてその曲を暗い部屋の中で眠る前に一つ一つの音をヘッドフォーンで聴いた時の感動は今でも覚えている。波が次々頭の中でかぶっているようだった。何も吸ったりしていた訳ではない。自然に伝わるのだ。

僕のアルバム『サイレント・フィルム』の中の曲“From J.S.P”はその一つ。ドラムを叩いているテープが逆方向に再生されている。その音は電車が線路の上に走っている音と似ている。その上に女性がシルヴィア・プラスと言う詩人の日記から朗読をしている。 言葉は1956年の大晦日にパリからマルセイユに向かう夜行列車に乗った時、高場した気分でノートに書き綴った文章からの抜粋。“詩人シルヴィア・プラスの生涯”を書いたアン・スティーブンソンは、この文章を「ダリの好んで描くような風景で後に彼女を最初に有名にした『エアリエル詩集』に見られるような、何かにとりつかれたようなシュールレアリズムを予感させる言葉で描写している」と評していた。この言葉の朗読を囲むようにエレクトリック・ギターのグリサンド(スライドする音)、バイオリン、弓でこするエレクトリック・ベース、グロッケンに近い手作り楽器の金の音がリズムの上に乗ってくる。その音楽には何も理論的な事は頭で決めず、直接に録音ボタンを押したまま、言葉のシュールレアルな風景を楽器を一つ一つ一人で重ねながら直感的に描いたつもりだ。 その言葉は次のように続く:

1956年大晦日(高橋鮎生翻訳)

夜10:30、夜行列車のプラットホーム。
さあ、これから出発だ。
笛の叫び、駅員の声。
じっと見つめる窓の外の暗闇に魅いられて。
ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。
童謡みたいに聴こえてくる。
去ってゆく。去ってゆく。去ってゆく。去ってゆく。
くり返し、くり返し、唱える。
頭の中に地図が浮かぶ。
列車はジッパーのような点線にそって、下りてゆく。
大地は熟したイチジクのように割れる。
夜の風景は窓の外で星と影のたわむれに緩やかに緩やかに包まれてゆく。
都会の厚い雲と煙にうずまく天井をはなれて、
クリームのように輝く透明な月に沈み込む。
青い輪。孤独な光。光の束。
道路の白い点々。ふみつぶされた白い貝がら?
あるいは森の鳥たちが残したパンくず。
夜空から浮き出た星達はぐるぐる回っている。
まるでヴァン・ゴッホの星達。
不思議な黒い木々。風に押されて曲がっている。
空にペンで描いたスケッチ。イトスギ。つみきのようなキュービズムの絵。
屋根の線。光に染められ。幾何学的な影。
そしてふたたび暗闇。透明の月の下に横たわる大地。
鉄の網の上、やさしくゆれている私たち。
電車の車輪のおしゃべりな声はずっと止まらない。
うとうとしながら、夢とめざめの間をさまよう。
窓の外の色を、暗闇から見つけ出そうする。
通り過ぎる風景。列車は走ってゆく。
秘密めいた風景。月だけが照らしている。
岩山。白っぽい所が時折見える。
雪かな?ちがうかもしれない。
突然、眠りの中から頭を上げると、水の上に微笑む月の笑顔が見えた。
やっと海に到着した。
新しい土地。新しい年。
椰子の木の緑色、とがった毛をもち、タコのような芽をだすサボテン。
悲鳴を上げる、青い海から神の目のように昇る赤い太陽が。

プラスの詩の魅力は本人が好きだと言っていた言葉“Ecstacy”の本来の意味が端的にあらわしている。エクスタシーとは日常的な空間から抜け出して、宇宙、神の世界、あるいは文化人類学者のLevi-Strausが言う夢の時(Dreamtime)を感じている時をさすものだ。 プラスはイギリスの詩人ロバート・グレーヴスの研究を通し、古代ヨーロッパの月の女神を崇めた詩人達に強い関心をもっていた。古代の詩人達はインスピレーションは月の光からくると考え、Muse(月の女神)の力を呼び起こす様々な方法を考えた。
シルヴィアは、詩は聴く人々にその人の感覚を変える力を持たなければいけないが、それと同時に文学の表現のメソッドを習得するためにそれまでの文学を研究する必要があると語っていた。

“The artist is the one who communicates myth for today (like the shamans of primitive society)“原始社会におけるシャーマン(部族の宗教的リーダー)の役目は現代の社会では芸術家 (絵描き、音楽家、詩人、作家)の役目になっている。この神話学者ジョーセフ・キャンベルの言葉はプラスの詩に合っている。

言葉や音楽はその力だけで、異次元を感じさせる事が出来るはずだ。

シルヴィアは30歳の時に自殺した。最近の研究では本当に死にたかったのかは分からないともいわれている。当時は電気ショックしか治療法もなく、薬もないまま彼女は複数の精神病に苦しんでいた。


Painting by Ayuo