現在執筆中のAyuoの自伝的小説からの抜粋コーナー



 

「LSD体験ーウィリアム2」


ウイリアムからもらったLSD

僕はインターナショナル・スクールに行っている時に毎日ハーフ・ブラザーの葉弥(父と義母との間の弟)を保育園に迎えに行っていた。 ある日、ウイリアムからLSDをもらって取ってから帰りの電車に乗った。
始めは普通だった。

突然効いてきた。

電車に乗っている人たちがこれほどストレスを抱えているのかと気が付いた。LSDは人間が普段フィルターをかけて気づかなくなるものも入れてしまう。普段、電車に一緒に乗っている人たちがどれだけストレスを抱えながら家に向かって帰っているかは気づかないものだ。気づいても仕方ないから脳がそのようにセッティングしてくれている。しかし、LSDを取ると細かいディーテールに目が行く。
僕の目の前にいた老人は硬い大きな石のように見えてきた。それだけ重い物を抱えて生きているのだろう。病気になりそうなくらい大きなストレスを抱えているように見えた。おそらく、人間のオーラが見えるという人はこのように人を見る能力を持っているのだろう。
病気になりそうな場合もその固い顔から伝わって来る。しかし、しらふだったら、電車にいる人にそこまで気がつかないと思う。
僕の隣りにいた女子高校生は鶏のように見えてきた。顔が考え事で曲がっていた。
学校や仕事の帰り時間でもあったが全ての人が疲れていた。生きている事にも疲れているように感じてきた。
品川駅になって、電車を降りたら、一瞬ホッとした。
保育園に向かって歩いていたが、今まで気が付かなかったディーテールが次々と目に入ってきた。普通人間はロボットのように自分の仕事に向かって歩いてゆく。そして自分の考え事をしている。
保育園に着いた。保育園の先生に挨拶をした。そして葉弥を連れて高輪の方へ歩いて帰った。途中の道にある葉っぱに僕の目が向いていた。その葉っぱには水が付いていた。その水の動きが気になった。葉っぱが揺れると水が動く。それも今という歴史の中で水が揺れていると思ってきた。普通だと考えない事かもしれないが、一つ一つのディーテールが大切のように思ってきた。自分の頭の中では色々な言葉が浮かんできた。葉弥も一人で歌ったり、言葉を語ったりしていた。時間の感覚を失っていたが、葉弥と一緒に歩いていたので、おそらくいつもと同じスピードで歩いていたはずだ。
葉弥の顔も眺めた。普段子供の顔として見ているが、この時はその顔が大人になった時や年の取った時の顔が映ってきた。自分の想像した事が見えてきたのだと思った。
家に着くと机に向かって言葉を書き始めだした。家には家族の人たちもいたが誰も特別に変わっている要素は気が付かなかったみたいだった。テレビを付けると人の顔は普段よりも変って僕に見えた。東洋人の歯の形が気になった。ドラキュラのような牙のような歯が付いていると気が付いた。それまで気が付かなかった事だった。自分を鏡で見てみた。自分の顔や歯の形も気になった。 レコードを聴いて見る事にした。アモン・デュールというドイツのサイケデリック・バンドをかけて見た・一つは『Disaster』という完全にドラッグでラリったまま演奏している音楽。これはノイズの嵐のように聴こえてきた。かえってしらふの時の方がそのドラッグっぽい雰囲気が伝わってきて面白いのだが、自分の感覚も変っている時に聴くとその面白さは伝わってこなかった。次にはアモン・デュール2の『Yeti』というアルバムをかけた。ドラム以外は別のメンバーたちでハード・ロックに近いサイケをやっている。これもその音楽のノイズっぽいところが返って目立った。歪んだギターの音はガラスが割れるようにきつい音に感じてきた。 そして、言葉を書くのに戻った。今の歴史に中で自分が何をしているのだろうと気になってきた。その答えを出そうと書き続けた。しばらく立つとLSDの効果は終わっていた。

僕はこの時ジェネシスのアルバム『The Lamb Lies Down On Broadway』はLSDの経験で書いたものだと悟った。
『The Lamb Lies Down On Broadway』はジェネシスの見たショーの中で一番面白かった。ニューヨークのプエルト・リコ人の青年が地下鉄でペンキのスプレイ・ガンでいたずら書きをした後に地下鉄の外に出ると異次元の世界に行ってしまう話だ。その異次元で出てくるイメージはよく心理学者、カール・ユングを使っていると音楽ファンの間では言われているが、LSDで見た世界のようだった。それもおそらく色々なディーテールが見えすぎて、考え込んでバッド・トリップになった状態だろう。ピーター・ガブリエルは20代の前半にLSDを何度かやって影響受けたと書いていたがこの曲と『Foxtrot』というアルバムに入っている『Supper’s Ready』がその影響の現われだと僕は思う。
これをライブでやった時は1975年の冬でこの2枚組のアルバムをその通りの順番で演奏した。一曲目のイントロが始まるとピーター・ゲイブリエルはショート・ヘアの黒いジャンパーを着たプエルト・リコ人の青年の役でステージに出てきて歌いだした。後ろにスライドを3つ映っていた。ニューヨークの町の場面。そして『In the Cage』ではオリに閉じ込められた状態を歌っていて、これは真っ直ぐ上からの強い光の証明がそのオリの役割をしていた。異次元の世界は色々なスライドで表現されていた。僕の知っている日本人のカメラ・マン、ケン・オハラの作品も許可なしに使われていた。ケン・オハラはニューヨークの色々な顔のアップ写真を取った写真集を出していた。そこからいくつか選ばれていた。僕の母はショーを見た後にケン・オハラに電話をして、『ケンの写真を使っているし、見に行った方良いよ』と言った。
『El Topo』を撮った映画監督はこれの映画化をしたいと前から言っていたらしいが、もしも作れていたら、『El Topo』と共通の感覚を持つ面白い映画になったと思う。『The Colony of Slippermen』ではグニアグニアしたふーせんのようなボールを体中に付けた状態でステージに現れた。プールの中でラミアというギリシャ神話に出てくる美しい蛇女に体中をかまれたからだった。最後の『It』という曲ではピーター・ゲイブリエルと同じサイズのマネキンがマイクの前に立っていた。そしてピーターはそれと並んで同じコスチュームで歌っていた。
これはプログレの名作で終わるのも、サイケデリック体験の話で終わるのももったいない。人生の影にある色々な面を表わした作品だった。それがユングの心理分析ともつながり、世界神話ともつながった。僕は自分のCD『ユーラシアン・ジャーニー』(1997)にも『ラミア』のカヴァーを入れた。


Painting by Ayuo