現在執筆中のAyuoの自伝的小説からの抜粋コーナー



 

「家族の崩壊 1975年 Ⅰ」


15歳の時に幼稚園から中学生の終わりまで育ったニューヨーク市を突然去る事になった。

理由は自分と関係ないことだった。当時、母親とアメリカ国籍のイラン人の義父と暮らしていた。彼の父が故郷のイランで亡くなった時に彼はイランに何度も行かなければ行かなければいけなくなった。その時、それまでの夫婦のずれが表面化したようだった。母はちょうど40歳位だった。普通ミッドライフ・クライシスになるような年齢だ。

このころ、ニュ−ヨークにロンドンからマイム、ダンスと演劇のパフォーマンスをしていたカンパニーが来ていた。彼らはフランスのゲイの作家ジャン・ジュネの小説を独自のパフォーマンスにした物を最初ニュ−ヨークにやりに来ていた。しかし、客は思ったほど入らない上、彼らを最初サポートしていたニュ−ヨークの演劇関係の人たちから手放されてしまった。フランスの作家ジャン・コクトーに影響受けたヨーロッパのボヘミアン風アーティストたちとしてニュ−ヨークでワークショップを教えたりしてふらふらしていた。メンバーの多くの人たちは人の家に居候していた。一日に一ドルもあるかないかだった。しかし、彼らは自分たちに興味を持った人たちには頼るのが上手かった。元々リーダーはロンドンに出てきてからはヴィクトリア駅の周りでホームレスの生活をしながら、ストリートでパフォーマンスをやっていた人たちだ。タフな生活にはなれていた。彼らは面倒を見てくれる女を捜すのも早かった。メンバーの大部分はバイセクシュアルかゲイかでもあった。リーダーはゲイだった。ちょうどデビッド・ボウイが自分がバイセクシュアルだと発表した後でゲイとバイセクシュアルのカルチャーには世間の興味が向かっていた。彼らの中心になっていたメンバーたちはニュ−ヨークのヴィレッジの方で新しいマイムのパフォーマンスをやっていた。そして、パフォーマンスが終わる度にメンバーの一人が自分たちは経済的に困っている事を語り、一ドルでも良いから自分たちの生活に寄付してくださいとお客さんに頼んでいた。メンバーの中にはアメリカの宇宙開発センター、NASA,に働いている男と結婚が決まっている女の人のアパートに、その旦那になる人には秘密で、暮らしていた男もいた。ゲイを上手く相手に出来る人はゲイの人の家で止まる所を探した。なんとでも生きて行く方法を見つける事が出来た。自分の作りたいアートの世界を、嘘言ってでも、サポートしてくれる人を見つけるのにはプロだった。

このような生活をしているアーティストたちはロマンティックにも見えた。昔のヨーロッパの芸術家たちの続きに見えた。コクトーの『オルフェ』や『美女と野獣』などにあこがれていた人たちにとってはそういう芸術を作れる人たちが突然現れたような感じだった。第二次大戦後の日本にはジャン・コクトーやライモンド・ラドリゲ、ジャン・バローズの出ている映画『天井桟敷の人々』などにあこがれる人は日本にたくさんいた。日本の作家、三島由紀夫などもそうだった。50年代から60年代の日本の新しい芸術には音楽にしても映画にしても、なんらかのフランスのこのようなアートの影響があったように思える。他にも作曲家の黛敏郎や武満徹、映画監督の勅使河原宏にもそのような影響が感じられる。この劇団の人たちとの出会いは母に昔あこがれていたアートの世界を思いださせた。捜し求めていた世界を実現している人たちに出会ったと思ったのにちがいない。

しかし、いつの時代でもそうだが、しっかりとヴィジョンを持ったリーダーは何とかやっていけるかもしれないが、それについて行く人たちはかならずしもそうではない。何か面白そうだから付いて来る。なかには3人娼婦と暮らしていると言う男もいた。女の人で黒人やプエルト・リコ系男に囲まれて自分がセックスしているところを映画を自分で取ってみんなに見せ付ける人もいた。それが自由に生きる事だと誤解していた。リーダーは常に人を見ながら、自分に役に立ちそうな人を説得する方法を身に付けていた。平気な顔をして完全な嘘を付く事も出来た。"Beutiful"という言葉をよく使い、相手を感情的に動かす事が出来た。笑いや悲しみや愛の表現も舞台でなくても、日々出来た。そして美的なセンスもしっかりあった。安いカツラや道具を買って、美しく見せる事も出来た。それまで芝居や舞踊をやった事ない人にも自信を与えて、自分の舞台に役立つようにした。彼の好むタイプの男は自分の恋人にしていた。そして、いろんな人たちを回りにおいた。ロンドンでは何人もと一緒に暮らしていたらしい。あまりにもリーダーのそばにいた人は振りまわされやすかった。いつも自分の作りたい芸術を優先的に生きていた。そして、その方法もつかんでいた。

Illustrated by Ayuo